トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

庭のチョウ

2019-09-20 | 小父のお隣さん
 以前はバタフライガーデンなんてものに興味があって小細工を弄した事もあったのだが、この頃はとんとご無沙汰の「苦しゅうない」なのである。
 それでも寄ってくるチョウはいるもので、小さいのはシジミチョウ。これは年中足元でヒラヒラしておる。カタバミなどは引き抜かず生えるに任せているせいもあるのだが「勝手にせい!」とお構いなしである。

 大型のチョウはキアゲハ、ジャコウアゲハにこれから期待できるアサギマダラの三種だろう。アサギマダラはこれから開花するフジバカマに吸蜜にくるのだが初見日はいつ頃になるだろうか。フイールドのフジバカマは開花の盛期を過ぎた風情だがまだ飛来は見ていない。

 そんなことでジャコウアゲハとキアゲハが主と言えば主になるものの、キアゲハの滞在時間は短く撮影出来る機会はまれである。ジャコウアゲハだけはウマノスズクサを食いつぶし食いつぶす様に捨て子していくのだ。家の外壁や縁台、はてまた空の植木鉢などにお菊虫となって見ることが出来るけれどキアゲハの幼虫は見ても蛹は目につかない事が多い。

 フイールドで採種したホトトギスは大株に育ちルリタテハの幼虫を見る事は出来るものの、食痕を見つけたら視線は向けないし近づかない。毒がないと知っていても幼虫の棘千本の様な姿は恐ろしく感じ、眼の毒なら良いけれど気の毒になりそう。
 蛾類の発生も当然あるけれど毎年のように悩まされたモンクロシャチホコやチャドクガ、イラガの発生がないのが不思議だ。殺虫剤の散布はしないから発生してもおかしくないのだが何でだろうか分からん…。

    フジバカマの中のジャコウアゲハ     網戸越し、ツルムラサキのアカボシゴマダラ
 

風媒花ゆえの死の転帰

2019-09-19 | 感じるままの回り道
 フイールド近在の稲刈りが始まった。魚沼の稲作貧農出身の小生としてはどこかに騒ぐ血がある。所属する会にもひと尾根越えれば復元した棚田があるものの手入れと管理はOさん任せだ。
 かって復元と維持管理には心血労力を注いだものの「里山保全」のビジョンや指向性、そして手間暇不可欠の状況から泥水池に重点を移さざるを得なかった。

 古くは「瑞穂の国秋津洲」と言い倣わされ、その恩恵で原風景が成立した事は衆目一致だろうが「策者策に溺れる」との故事通り、いいえ「獅子身中の虫」のごとく瑞穂に罪も意思もないものの時代の流れとともに現風景・生物相まで崩壊させる要因になってしまったと思わざるを得ないのが、「風媒花で瑞穂の国を形成」した故だと思っている。「成長発展の中に崩壊の芽は育つ」そのものに思えているのだ。
 このリスクは「風媒花」作物に共通する。その「風媒花」だが主要穀物に共通しているところに地球規模波及的死の転帰とも言いたい多大なリスクを生じさせてしまった。

 きっかけは5月に田植えの済んだ郷里に法事で帰省した事だった。大型農機で集約管理を行うように区画整理された美田の風景、そこに一旦足を踏み入れれば照顧脚下、風景は一変したのだった。「魚沼コシヒカリ」の一流ブランド生産地の圃場は小生の記憶にある少年期とは全く別物の死の世界に観えた。
 水田の中に生き物の姿がない。畔や農道は裸地かスギナの緑なのだった。虫もカエルも見当たらず、トンボやツバメさえ飛翔する姿がない。小生にもあっただろうか青春の頃に読んだ「沈黙の春」、けだし先見の明ある名著に挙げたい。まあ、小生の青春も沈黙の春だったけれど・・・。

 さて、いわゆる「優良米」生産のノウハウをつぎ込んで無駄を極限まで削いだ結果なのであろう。早苗は青々と育ち病害虫に襲われずカメムシの吸汁黒点も生じさせず特等品質の白米になるライス工場なのだった。それを支えているのは省力化による高性能防除剤と除草剤だろう。
 「瑞穂の国」は存続していても「秋津洲」は存続しえないのは自明の理だった。ひとえにこれをもたらした起因は「風媒花」である事でしかないだろう。
 「虫媒花」だったなら結果は大きく異なっただろうし、生物界の異変もこれほどまでに拡大劣化するような事にはならなかったのではないだろうか。小生に言わせれば極論「稲作(穀物栽培)こそが虫媒花農産物をも駆逐する」。これ、話を早くすれば農薬・化学肥料に因るのだけれど。

 まあ、姥捨て山三途の河原で泥盛りしているお爺が戯言いっても始まらないものの、環境侵食・外資侵食を容認し国土崩壊を引き込んで、なおかつ不要不急の戯言を息巻いているお利巧さん・お偉いさん達は稲作害虫以下の国賊的存在である。この呆けた脳裏でも「君子はまつり政に携わらず」がよぎるのう。政治経済環境だけでなく、こんなところにも「愚弄張る」化が及んだ。
 さてさて、それでも明日も泥仕舞いでよがるとするが、それが年金破綻世代始まりのよすがでもある。
 
 
 

棚田部のコナギ掘り取り 2

2019-09-18 | 今日は真面目に
 9日目にしてようやく終了した。中央部のコナギは一畳分ほど残す。水域内には点在しつつコナギが残っているが、まだクロイトトンボは飛翔しているしバッタ類も食料としている。ヨトウガの幼虫も食草として利用していた。この幼虫、水面に落ちると器用に後部をイルカのように振って前進していた。見ていても飽きない面白さがある。

 コナギ約30坪の面積を9日間要したから1日平均3坪処理した計算だが、実感としてはその半分程度の心持だった。とりあえず大仕事が終わって帰宅途中に「おはぎ」を購入し孤独に祝おうと思っていたのも束の間、途中USBメモリーを購入した結果「おはぎ」は消去されてしまった。「明日こそはおはぎで祝おう」と肝に命じる。
 中秋の名月は曇天で観るに叶わず、田毎の迷穴は今のところ現れずで悲喜こもごものいつも通り…。結局、月は寝待月となったものの月の出ではなく中天にかかった頃だったので寝起き月かも。

 長時間要した理由は土付きの根塊を畔と堤のに肉付けに使ったからで、これが意外に手間取った。水田中を三本鍬で曳き運び所定の部分に盛り付ける。根塊とは言えコナギ本体も含まれているから腐食すれば猪を呼び込む要因になるだろうけれど、掘り崩されても構造用土として増える量は捨て難いのである。

 東側の法面下は幅1m長さ10m、高さ20㎝ほどを結果として盛った。これで法面下部を猪の掘り崩しに遭うのが減るだろうし、棚田の周囲を歩くのが容易になるはずだ。
 
 反対側の西の畔、ここは堤上端面を広くした。ここも掘り崩し被害に遭っても時間稼ぎができるだろう。

 北側の堤も上端面を広くして掘り崩し被害の時間稼ぎである。盛り上げたばかりなので胴突きし固めるには早いけれど長靴で踏み込んで慣らしておいた。鎮圧は乾燥状態を見ながら実施すれば良い。


黄昏飛行

2019-09-17 | 感じるままの回り道
 ほんと、厳しい残暑で34℃に達した。暑い盛りよりも給水量が増えた感じがする。帰宅しても就寝まで麦茶と熱中症予防のタブレットを欲する渇きがあった。
 そんな自宅ではしょうもないので「黄昏飛行」とやらを見るつもりでフイールドに出かけた。今季も前季も蛍を観に出かけなかったから暗いフイールドは何年ぶりだろう。跋扈している威野志士様は危険だけれど怖くはない。二本足の動物が一番恐ろしい。

 さて肝心の黄昏飛行だが空振りだった。時間的に早かったと思ってはいても夕食を頂戴してからでは外出する気にはならない。結局、再度の水見回りをして帰宅した。黄昏飛行かと思えた情景は自宅近くで見た記憶がある。群れでというには少ない数匹の大型トンボが二階家の屋根よりも高い空中を飛行していたのだった。当然、種など判るはずもなく記憶にだけある。

 その記憶も黄昏状態になって、小生は「まだ大丈夫」と「イワシの頭」なのだけれど報道では「黄昏非行」の記事がかまびすしいし一昔前ならありえないような行動・事件が頻発している。
 小生の身近でもフイールドの行きかえりに信号無視・ウインカーを出さない。急カーブに突っ込みなんて日常茶飯事で、なにか崩壊してきた昨今の社会である。
 「悪貨は良貨を駆逐する」あるいは「朱に交われば赤くなる」そんなところだろう。まあ「うそつきは泥棒の始まり」政府・官庁・マスコミあげての性向だから下々もなびくは必然だ。

大きい巳ーちゃん、ようやく遭遇!、ハグ成功!

2019-09-17 | 小父のお隣さん
 棚田部のコナギ掘り取りの途中、温水田に波紋が見えてよく見たら1mを超えていそうなシマヘビだった。千歳一隅の機会で写しておかねばと田んぼから上がる。気が付いた巳ーちゃんは踵を返してしまったのだが、造林鎌の柄で首筋を押さえて捕獲に成功した。
 二枚写して放そうとした時に駐車場から話し声が聞こえた。おチビちゃん達かと思い巳ーちゃんを持ったまま向かったのであったが、小生と同年代のお嬢さん達だった。

 こうなると「昔取った杵柄」、後ろ手に巳ーちゃんを隠して歩いて来るのを待ち「良いものを見せますよ!」と声をかけた。先頭の2人のうち一人が「ダメダメ!」とか言って下がってしまった。結局、「いないいないアランドロン!」はできなく友好的ご披露になってつまらんかった。
 それでも3人ほどは指で触れて「冷たいのね」とか感想を漏らす。最初に逃げたお嬢さんは最後まで及び腰で後ろに隠れたままだった。小生的にはこういう人こそ「いないいないアランドロン!」をやってあげたい心ときめく対象なのだが人生、思うようにはいかない。。

 爬虫類自体、そんなに好きでもないが生態系の中で大事な位置を占めていると聞くので、それなりに大切に思うものの「ハッ!チュー」類まではしない。それはともかく、久しぶりに巳ーちゃんとデートできたこの日は大安吉日。さらにアオダイショウとシロマダラに遭遇できればもう言うことなし。

                        

※ 後日、「アオダイショウではないか?」とのメール。シマヘビにしては巨大だと思ったものの、表面に縞模様はあったし即「シマヘビ」で済ませた。アオダイショウにも薄い縞模様があるとのご教示だったけれど、小生的には「アオダイショウは青味」なんて意識があるし、どの生物・植物でも「鑑定」なんてものとは程遠い指向性だから「こんなもん・・・」が実態だろう。

棚田部のコナギ掘り取り

2019-09-16 | 水辺環境の保全
 盛夏の頃、棚田のコナギを虎刈り状に半分ほど除草したのが既に復活し更に範囲を広げている。水田雑草として忌み嫌われて来たげに恐ろしき繁殖力である。こうなると水域は「無い」も同然で残暑厳しき折なのだが除草に入ったのが9月の始まり。それが苦労の始まりでもあった。繁殖面積は10m×10mの100㎡で約33坪に相当する。
 
 手抜き除草が完璧と理解していても量が多すぎる。その上、この棚田は「セルカリア皮膚炎」感染の実績がある。手抜き除草で水中に皮膚を晒していたくない。そこで造林鎌で株元を薙ぎ払い除草する事にした。
 やり始めて散乱する茎葉の始末に思い至った。「これでは集草持ち出しが大変!」。そこで造林鎌で縦に筋目をを入れ根茎部の下部泥中をスライスしてみた。これで芝生の剥ぎ取りのように根茎ごと取りだせる。

 三本鍬を打ち込み根塊ごと引きはがす。大きさはブロックの三分の二程度だ。重量は増大したが根茎部の泥土ごと法面に積み上げれば泥浚いの役割も果たせ堤を太らせる事になり引き上げられた泥土は少しは役に立つはずだ。その結果は手間暇大仕事になってしまった。
 連日の真夏日、猛暑日同然が三日もあったし100㎡をブロック三分の二、0.0375㎡づつ掘り取ると2666回鍬を打ち込まねばならない。その前に造林鎌で豆腐を切るように筋目を入れないと削ぎはがすのに苦労する。

 この後、田んぼの中の根塊を肉盛りしたい畔まで運び集積する作業がある。そんな作業を1時間も行うとズボンや首のタオルまでぐっしょりと濡れそぼる。一日2時間ほど作業して1~2坪程度の処理能力だった。ようやく8日目にして「あと一日」と確信が持てた。 


 3日目   ➡    5日目   ➡    8日目

二枚貝のために再度の池大洗浄!

2019-09-15 | 水辺環境の保全
 8月中旬、池の濁りが澄まず底砂の洗浄と水替えを行いウオータークリーナーを曝気と併用したのだが、そのあとに種水と泥水池の泥土を種土として投入したのだが結果的にこれがいけなかった。
 澄むことは澄んだけれど時折濁りが発生する。泥土をバケツ一杯分、種土として投入してみたので濁りの元になるのは承知でも、泥水池の濁りは一晩で静まる。自宅の池では静まり難いのだった。

 理由はほどなく判明する。給餌した後に濁りが現れる時が多く、恐らくは泥鰌の活動によるのだろう。泥土は微粒子なので一旦濁ると水中の全ての部分に吹き付けたようになり収まっていく。これでは二枚貝の鰓を詰まらせるのは間違いない。
 貝と泥鰌にとっては砂だけよりも砂泥環境が好ましいと理解していたのだが、二枚貝にとっては濁りは大敵と判断して濁りの元になる泥土を洗い流し除去するために再度、池の水全部抜いた。

 浚い取った砂泥はタライに入れジェット水流で撹拌、濁りの水だけを捨てること数回、水が澄み始めたら砂を池に戻す。これを全ての砂泥に実施して濁りの元を除去したのだった。午前のフイールド作業の帰りに種水を持ち帰るつもりで不覚を取ってしまい、種水は翌日以降になるものの多勢に影響はないだろう。

 ドジョウにとっては泥が無くなり砂地の底になってしまったが代わりの設えを考えている。二枚貝にとっては濁りの元が除去され曝気だけでなくウオータークリーナーによる濾過と水流が加わっているから環境としては十二分になったと思っている。
 砂泥洗浄時、マシジミがぞろぞろと現れたがカラスガイやドブガイの稚貝は発見できなかった。産卵期までに早めに二枚貝の補充を行いたい。
 今回、タナゴの稚魚は3匹しか得られず、産卵母貝を大量に失ってしまった事態を招いたのは稚魚を失わないための「ウオータークリーナー廃止」にあって、それで濁りを除去できなくなったという関係があった。来シーズンはこの失敗を糧に再度の長期飼育と繁殖に再挑戦である。

            泥土を場外搬出洗浄     ➡      湛水し復旧

今日のトンボ「ネキトンボ」

2019-09-15 | 小父のお隣さん
 棚田部でコナギの場外搬出を行っている時、畔際に挿した竹にネキトンボがいた。当初、ショウジョウトンボと区別がつかず、色も黒っぽいし翅の付け根のオレンジ色も広く見え、ネキトンボと思いつつも迷った。
 たまたま林道に詳しいS氏がいたから呼び込んで確認してもらったらネキトンボだった。普段見慣れているシオカラトンボとシオヤトンボも普通に見逃してしまう脳味噌であるから、すでに脳というよりNOと行ったほうが適切かもしれない。ここに「NOと言える日本爺」が完成した。

 馬鹿はともかくとしてもトンボの入れ替わりを感じると季節の移ろいを意識しない訳にはいかない。九月初めにはまだチラホラ姿があったキイトトンボはすっかり見えなくなったし、それでも水面すれすれにはクロイトトンボは頑張っている。今季、数が見えないマユタテアカネの理由は知らないけれど、マユタテアカネが少ないと今期のトンボ終息11月末頃か、昨季は暮れの28日だった・・・。

             

摘果青りんごで塩昆布漬け

2019-09-14 | 何よりの楽しみ
 9月初め、遅まきながらの袋かけ、ついでに再摘果も行った。品種は「ふじ」で晩成種なのか収穫は11月頃になるから現在は全くの青りんごである。
 栽培当初、もったいなくてピンポン玉大の摘果青りんごをピクルスに仕立ててみた事があったが美味しくなかった。以後は樹下に捨て置きである。この捨て置きでさえ蟻も虫も喰わず無視され青りんごのまま萎みつつ冬を迎えるサイクルだった。

 今回、再度の摘果も時期が遅いと言う事もあって「使えるか?使ってみよう!」と漬物に仕立ててみる。薬剤散布は行っておらず、肌をスポンジで洗い八つ切りにして芯を外し塩分5%の目標で塩と塩昆布、乾燥糀も加えてみた。美味しくなければ少ない年金収入の中からひねり出した塩昆布と糀のコストが無駄になる。
 しかるに日本男児たる者、金品などの卑しい物に執着はならぬ。男子、本懐に至らずも爪楊枝がもののふとしての道なのだ。ご先祖様は源氏にまつわる血筋「太郎左衛門様」なのである。

 混ぜ合わせ漬物容器に入れる。5%塩分で塩50グラム、乾燥麹と塩昆布も50gづつ加えた首尾は冷蔵庫で一昼夜、喰えるか喰えないか、この瞬間こそもののふがおののくエクスタシーなのだ。

  ➡    ➡    ➡   

 期待はしなくても結果判定を行わねばならぬ。一昼夜では漬けあがらず四昼夜ほど冷蔵庫に置いた。食感は青リンゴのまま、味は塩昆布の風味が強く出て美味しさは感じられない。麹の風味も戻して加えなかったためだろう失敗。麹の効果は酸性食材だと無理か、と思った。
 結論としては「フルーツ漬け」ではなく「青リンゴ咀嚼感の茎漬け」の味わい。当初の杞憂通り、他者の影響を容認しない頑固一徹、武士道を貫いた摘果青リンゴがそこにあった。まあ頑固さだけは己を観るようだがああ、虫も喰わねど高楊枝・・・忖度して欲しかった、合掌。

ヒバカリばかりとは・・・

2019-09-14 | 小父のお隣さん
 つい先だってヒバカリの幼体を見る機会があった。数日を置いての数回でも「多い」感覚である。蛇類で目につくのはヒバカリばかりでアオダイショウやシマヘビなどの大型は全く出現しなくなった。猪が跋扈蹂躙する以前は日々の水見回りでさえ普通にびっくりさせられたものである。

 今期はマムシに遭遇したしヤマカカシも見ているけれど他の種には毛嫌いされている、というより個体数が減少しているのだろう。
 穿った見方をすれば、ヒバカリを見ると「その日ばかり」と言い伝えられてもいるから、本来は目立たない種だったはずで、その先ははばかりながら考えたくない…。

                      

目から鱗の「チョンの間」

2019-09-13 | 感じるままの回り道
 蜂満パレスに作られた「チョンチョン」風の巣房、この日覗いたら消えていて、あった場所は泥で塞がれていた。なにも「チョンチョン」風の個所を覗いたからといっても「出歯亀」では無いのは強調しておきたい。まあ、痴漢ではなく視漢の表現が近いのだろう。
 目を凝らしたらその上側に同じような「チョンチョン」風が出来ている。「ハハーン、こうやって準備し閉じるのか」と思い至った次第である。まあ言わば、「チョンチョン」風も「チョンの間」の設えなのであって「チョン」が「出来事」となると犯罪になってしまう。
 
 表現の自由と世間様ではかまびすしいけれど、表現する立場になると結構苦慮する部分もあるもので「チョンチョン」でさえ、あれとトンボの打水産卵の表現が出来るし「チョン」では短時間を言い表せるし「キョン」は房総半島で被害甚大の害獣になってしまう。
 こういう使い方を続ける小生の「大問題」とはPCの誤変換が多くなり機能不全に陥ってしまう事なのだ。変換候補の順位でさえ頻度無視、文脈無視の候補が先に上がる。小学生でも誤りと判る語句なのだ。PCの頭脳など意外とお馬鹿なのだと苦々しい今日この頃で、「誤変換解消のためにデーターを送信してください」なんてメッセージが度々現れるけれど、送ったところで何の意味もない。
 だからキー一発で済むこの「チョンの間」の動作は小生は行えない。正確には「やっても役立たず」が現実か・・・。
 この変換できない機能不全…さてさて人生には似たような事が多々あるものだが、別視点で観ればこれは多様性の候補で入口なのかどうか、小生は伝書鳩で「ご無理ごもっとも…」の立志伝だったから解り様がない。


          最初のちょんちょん   ➡     二本目

温水田のオーバーフロー改修

2019-09-13 | 水辺環境の保全
 棚田部のオーバーフロー改修に続き温水田のオーバーフロー改修を済ました。棚田の水位を上げた事で水位が温水田とほぼ等しくなり現状の温水田の堆積砂泥に並んでしまった。浚渫すれば済むのだけれど手が回らない。破損しているオーバーフロー部の改修を行った方が今後も見通すと第一選択肢になる。

 腐れが入ってきたベンチにしていた梁材を必要な長さに切断し、棚田部のオーバーフロー改修で外した厚板を再び堰に転用した。梁材は堰から流れ出る水路の護岸用である。今まで使っていた半割り丸太の堰は割り開いた面を上向きにし溢れた水流の床にした。これで落ち込み部の洗掘は多少だけれど防げる。
 しかし下部の隙間は埋め様が無く、前向きにとらえれば生物の隠れ場所でもある。ここは常時水に浸かっているから棚田部のオーバーフローのように「マムシが安住していた」にはならない。

 今回の改修で水位を10㎝ほど高めた。現状では堆積土砂でカツカツだから冬を迎えるにあたり水位は高めておきたいのである。泥浚いも必要なのだが上棚の二つ池、ニホンアカガエルの産卵床を整備するのが先だ。

 改修前   ➡    改修後      堆積土砂で水深は浅い

棚田部のオーバーフロー改修

2019-09-12 | 水辺環境の保全
 オーバーフロー部の浸食で棚田の水位を保つのに泥を重ねてきたのだが、一時しのぎでしかなくベンチを撤去した事で梁材が使えるから改修を行った。
 今までは厚板を据えて落ち込み部に洗掘防止の木のブロックを置いただけの簡単な構造である。これでも用は足りていたのだが威之志士様の跋扈蹂躙に弱く水位を保つのが容易では無かったのだ。

 今回の改修は厚板を梁材に変えただけだが護岸木をも据えたので脇からの漏水は防ぎ易くなっただろう。ただ落ち込み部の洗掘は段差のため改善されてはいないものの、梁材の厚みと大きさで漏水し難くなったと思う。
 今回の改修で水位を5㎝ほど上げた。水生生物のために冬季も湛水しているので水深を深くした方が環境は安定するだろうしメダカも増殖中なのでカワセミにも多少は恩恵があると思われる。

         刈り払いして露出させる    ➡     改修終了

今日のとんぼ「リスアカネ」だろうか

2019-09-12 | 小父のお隣さん
 この頃、林道沿えの日蔭や林間の木漏れ日のある環境で見かけるようになった翅端斑があるトンボは「リスアカネ」だろうか。種の判別が出来なくても翅端斑は見えるし好きなデザインである。理由は分からないが、この翅端斑には恋心のようにときめきがくる。まあ、一種の異常かもしれないと思うものの自害他害は皆無の範疇だから受診はせずそのままである。
 受診したところで「加齢による耄碌です」なんて、もう、ろくでもない結果は自覚しておる。

 この翅端斑のある種は確か「2種」なんて記載されていた記憶があるのだけれど「マユタテアカネ」の中にもこのタイプがあると知ってからは混迷が深まった。このトンボの複数飛翔するところを見るのは記憶に無く連結飛行くらいだから孤独を好むトンボかもしれない。まあ、おいらも姥捨て山で日陰の身、さしたる違いはないものの連結飛行は未来永劫あり得ない。

 と一旦はあきらめたものの一回だけなら可能性がある。来迎は赤い糸で連結されているというではないか。喜ぶべきか悲しむべきか、それが悶大だ・・・。

               

紅玉でジャム作り

2019-09-11 | 何よりの楽しみ
 放任状態のリンゴの樹、それでも実を付けてくれる。摘果は行ったが袋かけも農薬散布も肥料さえ施さない捨て作りでもある。正確に言えば「作り」は使えない扱いだ。
 収穫には少々早いのだが、これ以上置くと吸汁被害が増大する。紅玉の生食も好きだけれどやはりジャムが美味しい。
 色付きが悪い実は遅まきながら袋かけをした。相互に授粉木となる「ふじ」の果実にも再摘果をしながら袋かけをした。どちらも玉太りは望めないけれど吸汁被害は減らせるはずだ。店頭に並ぶ綺麗な肌のリンゴ達、どれほどの手間をかけているのか知れると言うものである。

 紅玉1kgを用意し糖度60%で仕上げる事にした。果実の糖分は無視する。廃棄分も考慮して1リットル貯蔵瓶に収まる量になる、の計算である。
 皮を剥き傷んだ部分を取り除いたら果実分550g、廃棄分500gと予想より廃棄分が多かった。蟻や蛾による傷みがあるからしょうもないか・・・。

 結局、果実重量の60%相当350gの三盆糖、シナモン、レモン果汁、ペクチンを加え完成した。出来上がりは1リットルの貯蔵瓶6割程度の量で少なくなったのは計算外だった。
 手元のレシピでは「紅玉ならレモン果汁不要」とあったが、もう購入してしまった。「ペクチンを用いる」のも不記載だが用いた。当然シナモンも記載されてはいない。レシピ通りでなく思うようにやってみるのが爺我自賛流なのであった。

 流水に沈め粗熱を取り冷蔵庫へ一晩。固さと味見をしたら固さは好みの範囲で、味わいはシナモンの効果か味に濃厚な深みがある。レモン果汁の働きもあるだろう。とにもかくにも市販のリンゴジャムなど甘いだけの喰いたくない出来上がり。これぞ爺我自賛の極みである。

   不良部を外す ➡  砂糖をまぶし液を出す ➡  貯蔵瓶へ