トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

風媒花ゆえの死の転帰

2019-09-19 | 感じるままの回り道
 フイールド近在の稲刈りが始まった。魚沼の稲作貧農出身の小生としてはどこかに騒ぐ血がある。所属する会にもひと尾根越えれば復元した棚田があるものの手入れと管理はOさん任せだ。
 かって復元と維持管理には心血労力を注いだものの「里山保全」のビジョンや指向性、そして手間暇不可欠の状況から泥水池に重点を移さざるを得なかった。

 古くは「瑞穂の国秋津洲」と言い倣わされ、その恩恵で原風景が成立した事は衆目一致だろうが「策者策に溺れる」との故事通り、いいえ「獅子身中の虫」のごとく瑞穂に罪も意思もないものの時代の流れとともに現風景・生物相まで崩壊させる要因になってしまったと思わざるを得ないのが、「風媒花で瑞穂の国を形成」した故だと思っている。「成長発展の中に崩壊の芽は育つ」そのものに思えているのだ。
 このリスクは「風媒花」作物に共通する。その「風媒花」だが主要穀物に共通しているところに地球規模波及的死の転帰とも言いたい多大なリスクを生じさせてしまった。

 きっかけは5月に田植えの済んだ郷里に法事で帰省した事だった。大型農機で集約管理を行うように区画整理された美田の風景、そこに一旦足を踏み入れれば照顧脚下、風景は一変したのだった。「魚沼コシヒカリ」の一流ブランド生産地の圃場は小生の記憶にある少年期とは全く別物の死の世界に観えた。
 水田の中に生き物の姿がない。畔や農道は裸地かスギナの緑なのだった。虫もカエルも見当たらず、トンボやツバメさえ飛翔する姿がない。小生にもあっただろうか青春の頃に読んだ「沈黙の春」、けだし先見の明ある名著に挙げたい。まあ、小生の青春も沈黙の春だったけれど・・・。

 さて、いわゆる「優良米」生産のノウハウをつぎ込んで無駄を極限まで削いだ結果なのであろう。早苗は青々と育ち病害虫に襲われずカメムシの吸汁黒点も生じさせず特等品質の白米になるライス工場なのだった。それを支えているのは省力化による高性能防除剤と除草剤だろう。
 「瑞穂の国」は存続していても「秋津洲」は存続しえないのは自明の理だった。ひとえにこれをもたらした起因は「風媒花」である事でしかないだろう。
 「虫媒花」だったなら結果は大きく異なっただろうし、生物界の異変もこれほどまでに拡大劣化するような事にはならなかったのではないだろうか。小生に言わせれば極論「稲作(穀物栽培)こそが虫媒花農産物をも駆逐する」。これ、話を早くすれば農薬・化学肥料に因るのだけれど。

 まあ、姥捨て山三途の河原で泥盛りしているお爺が戯言いっても始まらないものの、環境侵食・外資侵食を容認し国土崩壊を引き込んで、なおかつ不要不急の戯言を息巻いているお利巧さん・お偉いさん達は稲作害虫以下の国賊的存在である。この呆けた脳裏でも「君子はまつり政に携わらず」がよぎるのう。政治経済環境だけでなく、こんなところにも「愚弄張る」化が及んだ。
 さてさて、それでも明日も泥仕舞いでよがるとするが、それが年金破綻世代始まりのよすがでもある。