北京オリンピックの表彰式に流される「君が代」については、私と同様に違和感を感じる人も多いようだ。
「君が代」にドラの音が挿入されていることよりも、メロディが変形していることのほうが問題であるという指摘をいただいた。ビデオで聴き直してみると、確かにその通りだった。
また、JOCに確認の問い合わせをいた方もいらっしゃるようだ。
「君が代」については、こんな実話がある。ある公立高等学校の卒業式で、生徒と教員の一部が「君が代」斉唱を拒否したが、式の退場に使われた曲がエルガーの「威風堂々」だったという、皮肉なお話である。自国の国歌は歌わないが、式の退場に当たっては、英国の「準国歌」を使ったわけだ。これらはすべて生徒の「自主性」を重んじた結果だというのだから、笑わせる。
オリンピックの国歌演奏については、開催国が各国国歌の演奏(録音)に責任を持つようだ。200以上もの国歌を編曲し、録音するのは、確かに大変な作業だと思われる。編曲者があえて「君が代」を中国風に演奏しようとする、悪意の意図はなかったと考えるのが自然だろう。
だが、北京の「君が代」は、われわれの国歌に対する無関心さを浮き彫りにした。ブログ等を調べると、ほとんどの人がこの問題に気付いていないことが判明した。上述の公立高等学校の話は、特殊なケースではないのだ。
オリンピックの開催で、中国人の「中華愛国主義」は、ますます盛り上がっている。一方、日本では「個人主義」という名のエゴイズムが横溢し、国家は批判、攻撃の対象でしかない。本当にこんなことでいいのだろうか。
中国人に「小日本」などと侮蔑されないためにも、国歌は大切にしたいものだ。
これは、イデオロギーなどでは決してなく、「愛国心」の問題だ。