北京オリンピックの開会式を見ていると、著しい経済発展を遂げる中国の熱気が伝わってくるようだ。
一般の中国人が「ムード音楽」「イージーリスニング音楽」を聴けるようになったのは、1980年代半ば以降と思われる。中国では「世界軽音楽三大楽団」として、マントヴァーニ、ポール・モーリア、ジェームス・ラストがよく知られている。これらの音楽は、「改革開放」政策のもとで、香港を経由して中国大陸に流入したのだそうだ。
マントヴァーニ(1905-80)は、1963年たった一度だけ来日している。クラシックの交響楽団に匹敵する大歓迎を受け、東京文化会館、大阪フェスティバル・ホールなどで演奏した。
マエストロ亡き後の80年代後半、英国ではなく米国で「マントヴァーニ楽団」(The Mantovani Orchestra)が結成され、ほぼ隔年毎に日本ツアーを行うようになった。この楽団は、米国の地方オーケストラ(コミュニティ・オーケストラ)などからかき集められたメンバーで臨時編成されている。メンバー数は35名前後でオリジナルの「マントヴァーニ楽団」(Mantovani and his orchestra)よりも10名も少ない。
人数も少なく、技量も伴わない楽団ではあるが、マントヴァーニ・ファンの多い日本では結構歓迎された。というよりも、米国では何の実体もない楽団が、日本向けに「出稼ぎ公演」を続けているというのが、正しい表現かも知れない。
オーケストラ音楽は、楽譜さえ保存されていれば、指揮者やオケのメンバーが代わっても、それなりの再生が可能である。パーシー・フェイス、グレン・ミラー、ペレス・プラードなどの楽団が、当人がとっくに亡くなった後でも来日するのは、そのためである。
上述の「マントヴァーニ楽団」は、3年ほど前の来日を最後に、日本に来なくなった。「あれ?」と思ったファンは多いと思うのだが、実は、中国公演を行い、「大成功」を収めていたのだ。冒頭の写真は、北京・人民大会堂内でのコンサートの風景である。
日本では、東京を初めとして、地方の「○○県民ホール」「××市民会館」をドサ周りしていた楽団が、突然、人民大会堂で演奏! こうなると、また中国へという話になり、今年中に2度目の中国公演が実現する見通しだ。
ついこの間まで、中国民衆は、マントヴァーニの名前さえ知らなかった。そんな音楽を聴いていれば、「売国奴」と内通され、生命の保証などなかったからだ。
”暗黒の時代”をくぐり抜けた中国人が、ようやく豊かになり、マントヴァーニ楽団を聴くようになったのは、結構なことではある。
だが待てよ、「中華帝国」の「王宮」で演奏するという栄誉を授かった「マントヴァーニ楽団」は、もう日本には来ないのだろうか?
一般の中国人が「ムード音楽」「イージーリスニング音楽」を聴けるようになったのは、1980年代半ば以降と思われる。中国では「世界軽音楽三大楽団」として、マントヴァーニ、ポール・モーリア、ジェームス・ラストがよく知られている。これらの音楽は、「改革開放」政策のもとで、香港を経由して中国大陸に流入したのだそうだ。
マントヴァーニ(1905-80)は、1963年たった一度だけ来日している。クラシックの交響楽団に匹敵する大歓迎を受け、東京文化会館、大阪フェスティバル・ホールなどで演奏した。
マエストロ亡き後の80年代後半、英国ではなく米国で「マントヴァーニ楽団」(The Mantovani Orchestra)が結成され、ほぼ隔年毎に日本ツアーを行うようになった。この楽団は、米国の地方オーケストラ(コミュニティ・オーケストラ)などからかき集められたメンバーで臨時編成されている。メンバー数は35名前後でオリジナルの「マントヴァーニ楽団」(Mantovani and his orchestra)よりも10名も少ない。
人数も少なく、技量も伴わない楽団ではあるが、マントヴァーニ・ファンの多い日本では結構歓迎された。というよりも、米国では何の実体もない楽団が、日本向けに「出稼ぎ公演」を続けているというのが、正しい表現かも知れない。
オーケストラ音楽は、楽譜さえ保存されていれば、指揮者やオケのメンバーが代わっても、それなりの再生が可能である。パーシー・フェイス、グレン・ミラー、ペレス・プラードなどの楽団が、当人がとっくに亡くなった後でも来日するのは、そのためである。
上述の「マントヴァーニ楽団」は、3年ほど前の来日を最後に、日本に来なくなった。「あれ?」と思ったファンは多いと思うのだが、実は、中国公演を行い、「大成功」を収めていたのだ。冒頭の写真は、北京・人民大会堂内でのコンサートの風景である。
日本では、東京を初めとして、地方の「○○県民ホール」「××市民会館」をドサ周りしていた楽団が、突然、人民大会堂で演奏! こうなると、また中国へという話になり、今年中に2度目の中国公演が実現する見通しだ。
ついこの間まで、中国民衆は、マントヴァーニの名前さえ知らなかった。そんな音楽を聴いていれば、「売国奴」と内通され、生命の保証などなかったからだ。
”暗黒の時代”をくぐり抜けた中国人が、ようやく豊かになり、マントヴァーニ楽団を聴くようになったのは、結構なことではある。
だが待てよ、「中華帝国」の「王宮」で演奏するという栄誉を授かった「マントヴァーニ楽団」は、もう日本には来ないのだろうか?