ブダペスト~ブラティスラバ~プラハ~チェスキークルムロフ~ウィーン、合計1,200kmをバス旅行。旅行社任せの気楽さはあったが、やはり「走馬看花」の団体旅行。もう一度行くとしたら、プラハとウィーンにゆっくり滞在してみたい。
初日、オーストリア航空機でウィーン空港に到着したものの、すぐにバスに乗り換え、約240km離れたブダペストに向かった。ブダペスト観光を皮切りに、上述の行程で旅行したので、ウィーン観光は、最後の二日間となった。
バスに乗った「ウィーン市内観光」では、次の場所を訪れた。
○ベルベデーレ宮殿 ○シェーンブルン宮殿 ○国立劇場 ○王宮 ○市庁舎
市庁舎地下のレストランで、名物というウィンナー・シュニツェル(ウィーン風カツレツ)のランチを食べて、午後は自由行動。ランチはまるで口に合わず、カツの衣をほとんど取り除いて、味気ない牛肉を口に運ぶ。
真っ先に美術史博物館に。クリムト生誕150周年記念の展示を見てから、通常展示へ。美術にさして関心のない私でも、チェスキー・クルムロフのような中世の街並みを見たあとでは、いつもとは違った気分で絵を眺める。
次は、ザッハ・トルテで有名なホテル・ザッハ(Hotel Zacher)へ。喫茶室に行くと、天皇、皇后両陛下がここを訪れた写真が、入り口に掲げられていた。私は、何とかメレンゲという名前の「ウィンナ・コーヒー」を注文。
帰国後、ザッハ・トルテを食べたが、「甘すぎる」というのが家人の感想。だが、ここで受け売りの解説をする。「オーストリア・ハンガリー帝国は、トルコとの交易を通じて、古くからコーヒー文化が根付いていた。紅茶は英国の文化で、一方、オーストリアはコーヒーが主流というわけ。だから甘いトルテがぴったりなのさ」と。
ウィーンは観光の街で、治安もよさそう。だが、ここでは、アジア人Asiansと一括りにされている自分に気づく。レストランで日本人観光客には水を持ってこないのに、白人客にはウェイターが直ちに水を注ぎに行ったのを目の当たりに見る。こういうあからさまな体験は、初めてだった。
帰路のオーストリア航空機は、何と5時間遅れ。合計16時間もかかって、やっと日本にたどり着いた。我が国が「極東」にあるのか、欧州が「極西」にあるのかは、それこそ主観の問題だが、とにかく欧州は物理的にも、心理的にも極めて遠い。次はアジアに回帰…しようかな。
(ランチで食べたウィンナー・シュニツェル(ウィーン風カツレツ)
(美術史博物館)
(ホテル・ザッハのCAFE)
(ホテル・ザッハのCAFEに掲げられている天皇皇后両陛下の写真)
(ホテル・ザッハの「ウィンナ・コーヒー」)
(国立歌劇場)
(美術史博物館の天井)
ブダペスト→ブラティスラバ(スロバキア)→プラハ、チェスキー・クルムロフ(チェコ)→ウィーンの約1,200kmをバスで廻った「中欧4ヶ国の旅」で一番印象に残ったのが、チェコの古都・チェスキークルムロフ。
チェスキー・クルムロフの歴史については、次のWikipedia※に詳しい。
※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%83%95
チェスキー・クルムロフの旧市街は、世界文化遺産に指定されている。この小さな街を見ただけで、中世ヨーロッパ社会の成り立ちがよく分かる。高台に領主が住む城がそびえ、眼下の川を隔てて古い街並みが拡がる。街並みの中心には教会と広場があって、人々の生活の中心となっている。「聖」と「俗」の絶妙な配置。教科書で習ったイメージそのままが目の前に…。
(城壁から見たチェスキー・クルムロフの街並み)
観光地として有名になったチェスキー・クルムロフだが、共産圏に組み込まれていた45年間、ほとんど開発がされなかったため、皮肉にも昔のままの街並みが残っているという印象だ。心なしか街並みには暗い陰があるような気もする。「社会主義」を掲げた共産党一党独裁の政治体制が、結果的にこの街の「環境」を守ったのだが、もちろん賞賛されるようなことではない。
Wikipediaによれば、この街はジプシー(ロマ)が多く居住する街でもあり、深刻な差別問題がいまなお存在するようだ。ジプシーに関しては、昔、教わった先生が「ジプシー~漂泊の魂 」(相沢久著 講談社現代新書 1980年)という本を出したこともあり、ずっと気になっていた。しかし街では、ジプシーらしい人には出会わなかった。
まあ、東洋の果て(極東)から訪れた中年オヤジが、いろいろ考えても仕方がないことではあるけれど…。
(チェスキークルムロフの広場)
(市街地側から城壁を望む)(チェスキークルムロフのランチ。「魚料理を選んだら、何とニジマスのオリーブ油焼き。味は…あんまりだった。)
(クルムロフ城の城壁)
「中欧4ヶ国の旅」と題するツアーで、ブダペスト(ハンガリー)、ブラティスラバ(スロバキア)、プラハ(チェコ)、チェムスキークルムロフ(チェコ)、ウィーン(オーストリア)を廻った。この全行程1,200kmをツアー客42人が乗ったバス1台で走破。座席も窮屈だったが、口うるさい添乗員にしっかりと時間も管理された旅だった。
ウィーンでは、観光客相手の「ウィーン・レジデンス・オーケストラ」の演奏会に行った。オーケストラといっても、8人の室内楽編成。モーツアルトやウィンナ・ワルツを20曲ほど演奏した。教会のホールなので、音が良く響き、ヴォーカルが加わった曲目が本場の雰囲気を感じさせた。上手なのか下手なのか、その場ではよく分からなかったが、ICレコーダを再生してみると、録音しない方がよかったなあ、と思った。 毎晩、同じ演目で観光客を相手にするのだから、無理からぬことでもあるが…。
(コンサートの様子)
プラハの街の方が、かえって音楽に溢れていた。王宮の丘では、ジプシー風の楽団が「モルダウ」を演奏していた。これはなかなか上手だった。バイオリン、ウッドベース、アコーディオンそしてファゴットという編成が実にユニークで、さすが音楽の本場という感じ。
(プラハの旧王宮広場で演奏するミュージシャン)
カレル橋では、手回しオルガンのおじさんにも出会った。
(プラハ・カレル橋上で)
もし、もう一泊できれば、プラハでコンサートに行きたかった。スメタナ・ホールで行われるというプラハ・ロイヤル・オーケストラの切符が売られていた。プログラムを見ると、「四季」(ヴィバルディ)を筆頭にあまりに有名な曲なので、これも観光客目当ての演奏会だったのかも知れないが…。第一、プラハ・ロイヤル・オーケストラという名前なんて聴いたことがなかったし、曲目を見ると、小編成でも演奏できるものばかりなので、やっぱり観光客用か…。
(プラハの旧市街で配られていたコンサートのチラシ)
JTBの添乗員(アラ・フォー女性)は、プラハはスリが多くて危険とさかんに強調し、ウィーンとは文化程度が違う(=低い)というようなことを何度も強調していた。自分の旅客がトラブルに巻き込まれては面倒くさい、というのがミエミエだった
私の印象では、プラハの旧市街が文句なしに一番素晴らしかったのだが…。
蛇足になるが、旅行情報をひとつ。今回の旅行で、友人と私の4人全員が「もう、JTBのツアーには行かない」という同じ結論に達した。サービス精神の完全欠如、業界トップ風のプライド等々、添乗員の態度に我々は皆辟易とした。ほぼ同一内容のツアーが阪急旅行社とクラブツーリズムでも同時進行していた。帰路はウィーン空港で一緒になったが、他社の添乗員(ともに女性)がかいがいしく働いているのに、我が添乗員は気に入った中年女性と無駄話ばかり。への字に曲がった口元の添乗員が、次第にプラハ城の拷問博物館に展示されていた魔女に見えてきた。
× JTB→http://www.jtb.co.jp/lookjtb/eurcampaign/2012/?cid=listing
◎ クラブ・ツーリズム→ http://www.club-t.com/special/abroad/cnt-eu/index.htm?waad=rVAfA8Ub