図書館から借りた古い本「講座比較文学5 西洋の衝撃と日本」(1973年 東大出版会)所収の「帝国大学の思想」(神田孝夫)を読んでいたら、東京帝国大学を始めとする帝国大学の成立事情がよく理解できた。それによれば、東京帝国大学が成立する以前には、各省に有為の人材を育成する学校が並立していた。陸海軍の指導者を育成するための陸軍士官学校、海軍士官学校、外務官僚等の対外実務者を育成するために、東京と大阪に設立された外国語学校などだが、これらの学校は決して帝国大学に劣るものではなかったという。
この二つの外国語学校の後身である「東京外国語大学」と「大阪外国語大学」は、最近、大きな変身を遂げた。まず、大阪外国語大学が大阪大学外国語学部に発展的に”改変”された。これは、旧二期校扱いだった大阪外国語大学が旧帝国大学である大阪大学に統合されたのだから、大阪外語関係者にとっては、「玉の輿」に乗ったような話なのかも知れない。
もうひとつの東京外国語大学は、この新学期から外国語学部を改編して、「言語文化学部」と「国際社会学部」の2学部制※とした。学部の下にはそれぞれ3つのコースを置き、従来の○○語専攻という枠を取り払った。この大学では、以前から、外国語学部の副専攻(専攻語学以外の専攻)に「国際関係」と「言語文化」を設置していたから、新たな学部が唐突に出来たというわけではない。○○語学科という枠をなくしたことで、この大学の教育目標は、東京大学教養学部教養学科で行われているような教養教育を目指すことがはっきりした。関係者にとっては、念願の改革だろうが、これからは優秀な学生が集まるかどうかが鍵となるだろう。
※ http://www.tufs.ac.jp/education/
昭和40年代前後から、私立大学でも外国語学部が設立されるようになった。天理大学、上智大学あたりから始まり、高度成長期にさほど有名ではない大学を中心に「雨後の筍」のように設置された。これらの大学が、国立大学である東京外国語大学と決定的に異なるのは、スタッフやカリキュラム。某私立外国語大学のカリキュラムを見ると、まるで外国語専門学校のように語学ばかりで、専門教育を重視していない。欧米では、外国語の修得を目標とする「外国語大学」は存在せず、「外国語学校」が大学の下位に位置づけられている。この某私大は、まるでその専門学校のようなのだ。
私大に外国語学部が多数設置されたのは、いくつかの理由がある。まず、国際化が叫ばれた社会状況のなかで、外国語学部が文学部よりも実用的で、学生を集めやすいと判断されたこと。もうひとつは、外国語学部は安上がりだということだ。企業とタイアップして、LL教室を整えるだけで、文学部とは異なって図書経費などはいくらでも節減できるのだから。
先年、東京外国語大学の授業を聴講していたとき、S教授が興味深い話をした。「東京外国語大学の図書館予算は、東京大学法学部の図書室予算よりずっと少ないのですよ」と。私は、自分の出身校の貧弱な図書館と比較して、この大学図書館を立派な図書館だと思っていた。だが、そのさらに「雲の上」にあるという、東大法学部の絶大な”威光”を改めて見せつけられた。「帝国大学」ー「その他の国立大学」ー「私立大学」というヒエラルキーは、今も厳然としている。
このように、常に「帝国大学」の下位に置かれてきたこの大学が、長年の怨念?を晴らすかのように行った今回の改革は、日本の大学制度、学歴社会を思い起こすと、極めて興味深い。
先日、中嶋嶺雄学長の「国際教養大学」(秋田市)の偏差値が、「旧帝大に接近」というニュース※が伝えられた。中嶋嶺雄氏は東京外国語大学の元学長。大学改革を進めるなかで、学内の反対派に三選を阻止された。彼は、きっと母校・東京外国語大学を「国際教養大学」のような大学にしたかったに違いない。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120422-00000004-jct-soci