澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

邱永漢氏のご冥福を祈る

2012年05月18日 12時52分29秒 | 

  直木賞作家で経済評論家としても活躍した邱永漢(きゅう・えいかん)氏の訃報が伝えられた。享年八十八。心からご冥福を祈りたい。

 私は、「香港」「濁水渓」などの小説で、邱永漢氏の存在を知った。大昔のことなので、そのストーリーの面白さは味わったものの、小説の歴史的背景については、あまりよく理解できなかった。
 
 いまになって私が知るのは、邱永漢氏の経歴は、李登輝氏と重なっているという事実だ。台湾の日本語世代に属し、旧制台北高校を経て、それぞれ東京帝国大学、京都帝国大学に学んだ。日本が敗戦し、それまで「日本」であった台湾の帰属が未確定ななか、1947年、台湾に上陸した中国国民党軍は、三万人にもおよぶという台湾人を虐殺する「二二八事件」を引き起こした。この事件は、台湾人としての両氏に言い表せぬほどの憤りと恐怖をもたらしたはずだ。

 邱永漢氏は、中国国民党の外来政権、蒋介石の独裁政治に反対して、台湾独立運動の一員となった。一方、李登輝氏は、テクノクラートとして国民党政権内に留まり、最後には総統の座を手中にした。二人の生き方は対照的に見えるけれども、台湾は台湾人のものであるという考えは共通している。
 
 台湾の日本語世代は、戦後、日本政府が何度も台湾を裏切っても、ずっと日本・日本人を信用してくれた人達だ。その人達が次々と去っていくのを見るのは、世の定めとはいえ辛く悲しいことだ。 
  


(在りし日の邱永漢氏)

 

直木賞作家 邱永漢さんが死去 「お金もうけの神様」として人気に

スポニチアネックス 5月18日(金)11時5分配信

 直木賞作家で経済評論でも知られた邱永漢(きゅう・えいかん、本名丘永漢)さんが16日午後7時42分、心不全のため死去した。88歳。台湾生まれ。

 葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日「お別れの会」を開く。喪主は妻亜蘭(あらん)さん。

 日本統治下の台湾・台南で生まれ、旧制台北高校から東大に進学。卒業後、台湾に戻ったが、戦後の台湾独立運動に関係したとして国民党政府の弾圧を受けて香港に逃れた後、再び日本へ。1956年、小説「香港」で直木賞を受賞した。

 その後は日中の文化比較や食文化などをテーマに多くの著作を発表。高度経済成長期やバブル経済期には、株や不動産への積極的な投資を背景にした経済評論でも知られ「お金もうけの神様」として人気があった。

 晩年も、中国でコーヒー園を経営するなど多角的な事業を展開するとともに、旺盛な執筆活動を続けた。著書は「食は広州に在り」「中国人と日本人」「お金持ちになれる人」など多数。

 80年に日本国籍を取得した。