今朝の「産経新聞」に「満鉄”あじあ号”の悲鳴」(下記参照)という記事が載っている。
5年ほど前、私も大連で「あじあ号」を見た。その時撮したのがこの写真。
写真では分かりづらいが、「あじあ号」が「保管」されていた倉庫は所々窓ガラスが割れ、「あじあ号」の車体もいたるところ錆び付いていた。その時感じたのは、「あじあ号」が長い間野ざらしに近い状態で放置されてきたのだろうということだった。「日帝」が支配する「偽満州国」を「解放」したのが中国共産党だとする「中共史観」からすれば、「あじあ号」は反日のシンボルでしかない。往時「あじあ号」が世界に誇る高性能のSL、夢の超特急だったという事実など、彼らにとってはシャクの種でしかないのだ。
この新聞記事によると、「あじあ号」は日本人観光客に観覧料を取って見せるために、大連のボロ倉庫に「展示」されていた。だが、中国の反日運動が影響して、日本人観光客が激減してしまった。そこで瀋陽に移転して、「反日教育」の材料に使うのだそうだ。
一昨日、BS朝日で放送された「ぐるり台湾鉄道旅 知られざる鉄道遺産を求めて」※では、彰化にあるSL車庫で台湾鉄道の関係者が「日本がこんなに素晴らしいSLを遺してくれてありがとう」と言うのを見たばかり。花蓮の公園では日本統治時代のSLがピカピカにきちんと保存されているのをこの眼で確かめた。
※ http://www.bs-asahi.co.jp/gururi_taiwan/
中国と台湾のこの落差は、何に起因するのか。それを探ることが、歴史の真実を知ることになると思うのだが…。
満鉄「あじあ号」の悲鳴 上海支局長・河崎真澄
2013.4.8 08:00 「産経新聞」
「大連に行ったが、昨年12月14日付の記事にあった蒸気機関車は探し当てられなかった。所在地を教えてほしい」。神奈川県座間市在住の男性読者(64)の方から、東京本社読者サービス室に問い合わせの電話があったのは、2月27日のことだった。
その記事とは、本紙朝刊に掲載された記者(河崎)のルポ「中国・大連、満鉄『あじあ号』を牽引(けんいん)した“新幹線のモデル”」。80年近く前、満州(現在の中国東北部)で南満州鉄道(満鉄)特急「あじあ号」を引っ張った機関車が、遼寧省大連の鉄道修理工場の片隅で、錆(さ)びるにまかせ、ひっそり置かれていた現場を取材した内容だ。
確認しようと大連に電話したところ、工場の職員が「あの機関車なら昨年暮れに急に運び出され、瀋陽の鉄道陳列館に移送されたよ」と教えてくれた。記事から2週間ほどで機関車は大連から消えていた。
1932年の満州国建国後、34年に首都の新京(現在の吉林省長春)と大連を結ぶ特急あじあ号が誕生。斬新な流線形デザインの機関車「パシナ」が牽引した。満鉄製造のパシナ12両のうち2両が現存する。大連の1両は、もう1両が保管されている瀋陽の陳列館で顔をそろえるのだという。
大連では日本人観光客に1人50元(約760円)で見学させていたパシナだが、日中関係悪化で客足がぱったり止まり、工場にとっては“お荷物”となっていたことを考えれば、しっかりした施設が年老いた機関車を保存してくれるなら喜ばしい。
だが、陳列館の男性担当者は、日本人記者からの電話に、「大連から届いた機関車は整備中。いまは改装のため閉館しており展示時期は未定だが、当館はあくまでも愛国主義教育の基地だ」と言い放った。
中国において満州国は、日本による傀儡(かいらい)国家「偽満州国」と教育される。鉄鋼や炭鉱などにも事業を広げた満鉄が、日本の満州経営の中核だったことを考えれば、2両の機関車は中国からみて“傀儡”の物的証拠とも映り、反日教育の材料にもなる。
遼寧省瀋陽は満州時代に「奉天」と呼ばれた。28年6月、軍閥の総帥だった張作霖が列車爆破で死亡したのは奉天郊外の柳条湖でのこと。その後、31年9月、満州事変が勃発(ぼっぱつ)する。瀋陽は因縁の地でもある。
ならば、愛国主義教育基地は何を教えるのか。上海で抗日戦争をテーマとした「上海淞滬(しょうこ)抗戦記念館」を訪ねると、猖獗(しょうけつ)を極めた抗日戦として、目を覆いたくなるような写真や資料が延々と展示されていた。
唐磊(とうらい)館長によれば、見学者は年間20万人以上。その7割は地域の小学生から高校生で、授業の一環として見学する。「子供らに『歴史を忘れるな』と教育し、抗日戦を戦った高齢の元兵士の証言もまとめる。さらに中国共産党の小学生向け下部組織の入隊式もここで行う」のだという。
実際に抗日戦を戦ったのは、蒋介石率いた中国国民党軍が大半だったはずだが、ここでは共産党が前面に押し出され、いわば共産党中央宣伝部が指揮する政治宣伝(プロパガンダ)の最前線となっていた。
一党独裁を続ける共産党が「抗日戦争に勝利した結果、49年に中華人民共和国を成立させ、いまの中国の繁栄がある」ことを政権の基盤にすえる以上、愛国主義教育と抗日、反日は表裏一体といっていい。
満鉄OBらが戦後設立した「満鉄会」の事業を継承した満鉄会情報センターの天野博之常任理事は、「瀋陽の鉄道陳列館は以前から原則として、外国人には公開されていない。中国の国内向けとはいえ、『あじあ号』が反日教育に使われるとすれば不本意であり、残念だ」と話している。
満州の大地を疾走した「あじあ号」の機関車パシナ。悲しげな汽笛が聞こえてくるようだ。(かわさき ますみ)
「ぐるり台湾鉄道旅 知られざる鉄道遺産を求めて」>(BS朝日 2013.4.6放送)
俳優・大和田獏が様々な国を鉄道で“ぐるり”と一周する旅の第2弾!
今回は台湾を巡り、およそ120年に及ぶ台湾鉄道の歴史に想いを馳せます。
日台にまたがる鉄道の深い歴史…。
その起源はおよそ120年前。日本統治時代に軍事輸送を目的とした線路が敷かれたのを原点に、製糖・炭坑・森林鉄道など数々の産業鉄道が建設され、鉄道の発展と共に、台湾の経済は発展して行ったのです。一つ一つの線路には歴史があり、統治時代の名残りがあり、開発に携わった人の物語があります。
そして今なお、そんな「鉄道遺産」ともいうべき、かつての趣を色濃く残す駅舎・車両・線路などが台湾には数多く眠っているのです。俳優・大和田獏がそんなタイムスリップの旅に出かけ、「知られざる」日台の歴史と鉄道文化に触れていきます。
そして鉄道旅の道中、出会うのは台湾の“絶景”。ユネスコに加盟していない台湾ですが、実は「世界遺産」の候補となりうる絶景の数々が眠っているのです。台湾のナイアガラといわれる “十分大瀑布”、長年の風化や海により浸食されてできた大自然の石彫芸術“野柳の奇岩”、大理石でできた台湾随一の絶景スポット“太魯閣溪谷”、さらには数100万灯のランタンが灯る台湾最大の“ランタン祭り”など、日本では目にすることのない景色が獏さんを待っています!
5年ほど前、私も大連で「あじあ号」を見た。その時撮したのがこの写真。
写真では分かりづらいが、「あじあ号」が「保管」されていた倉庫は所々窓ガラスが割れ、「あじあ号」の車体もいたるところ錆び付いていた。その時感じたのは、「あじあ号」が長い間野ざらしに近い状態で放置されてきたのだろうということだった。「日帝」が支配する「偽満州国」を「解放」したのが中国共産党だとする「中共史観」からすれば、「あじあ号」は反日のシンボルでしかない。往時「あじあ号」が世界に誇る高性能のSL、夢の超特急だったという事実など、彼らにとってはシャクの種でしかないのだ。
この新聞記事によると、「あじあ号」は日本人観光客に観覧料を取って見せるために、大連のボロ倉庫に「展示」されていた。だが、中国の反日運動が影響して、日本人観光客が激減してしまった。そこで瀋陽に移転して、「反日教育」の材料に使うのだそうだ。
一昨日、BS朝日で放送された「ぐるり台湾鉄道旅 知られざる鉄道遺産を求めて」※では、彰化にあるSL車庫で台湾鉄道の関係者が「日本がこんなに素晴らしいSLを遺してくれてありがとう」と言うのを見たばかり。花蓮の公園では日本統治時代のSLがピカピカにきちんと保存されているのをこの眼で確かめた。
※ http://www.bs-asahi.co.jp/gururi_taiwan/
中国と台湾のこの落差は、何に起因するのか。それを探ることが、歴史の真実を知ることになると思うのだが…。
満鉄「あじあ号」の悲鳴 上海支局長・河崎真澄
2013.4.8 08:00 「産経新聞」
「大連に行ったが、昨年12月14日付の記事にあった蒸気機関車は探し当てられなかった。所在地を教えてほしい」。神奈川県座間市在住の男性読者(64)の方から、東京本社読者サービス室に問い合わせの電話があったのは、2月27日のことだった。
その記事とは、本紙朝刊に掲載された記者(河崎)のルポ「中国・大連、満鉄『あじあ号』を牽引(けんいん)した“新幹線のモデル”」。80年近く前、満州(現在の中国東北部)で南満州鉄道(満鉄)特急「あじあ号」を引っ張った機関車が、遼寧省大連の鉄道修理工場の片隅で、錆(さ)びるにまかせ、ひっそり置かれていた現場を取材した内容だ。
確認しようと大連に電話したところ、工場の職員が「あの機関車なら昨年暮れに急に運び出され、瀋陽の鉄道陳列館に移送されたよ」と教えてくれた。記事から2週間ほどで機関車は大連から消えていた。
1932年の満州国建国後、34年に首都の新京(現在の吉林省長春)と大連を結ぶ特急あじあ号が誕生。斬新な流線形デザインの機関車「パシナ」が牽引した。満鉄製造のパシナ12両のうち2両が現存する。大連の1両は、もう1両が保管されている瀋陽の陳列館で顔をそろえるのだという。
大連では日本人観光客に1人50元(約760円)で見学させていたパシナだが、日中関係悪化で客足がぱったり止まり、工場にとっては“お荷物”となっていたことを考えれば、しっかりした施設が年老いた機関車を保存してくれるなら喜ばしい。
だが、陳列館の男性担当者は、日本人記者からの電話に、「大連から届いた機関車は整備中。いまは改装のため閉館しており展示時期は未定だが、当館はあくまでも愛国主義教育の基地だ」と言い放った。
中国において満州国は、日本による傀儡(かいらい)国家「偽満州国」と教育される。鉄鋼や炭鉱などにも事業を広げた満鉄が、日本の満州経営の中核だったことを考えれば、2両の機関車は中国からみて“傀儡”の物的証拠とも映り、反日教育の材料にもなる。
遼寧省瀋陽は満州時代に「奉天」と呼ばれた。28年6月、軍閥の総帥だった張作霖が列車爆破で死亡したのは奉天郊外の柳条湖でのこと。その後、31年9月、満州事変が勃発(ぼっぱつ)する。瀋陽は因縁の地でもある。
ならば、愛国主義教育基地は何を教えるのか。上海で抗日戦争をテーマとした「上海淞滬(しょうこ)抗戦記念館」を訪ねると、猖獗(しょうけつ)を極めた抗日戦として、目を覆いたくなるような写真や資料が延々と展示されていた。
唐磊(とうらい)館長によれば、見学者は年間20万人以上。その7割は地域の小学生から高校生で、授業の一環として見学する。「子供らに『歴史を忘れるな』と教育し、抗日戦を戦った高齢の元兵士の証言もまとめる。さらに中国共産党の小学生向け下部組織の入隊式もここで行う」のだという。
実際に抗日戦を戦ったのは、蒋介石率いた中国国民党軍が大半だったはずだが、ここでは共産党が前面に押し出され、いわば共産党中央宣伝部が指揮する政治宣伝(プロパガンダ)の最前線となっていた。
一党独裁を続ける共産党が「抗日戦争に勝利した結果、49年に中華人民共和国を成立させ、いまの中国の繁栄がある」ことを政権の基盤にすえる以上、愛国主義教育と抗日、反日は表裏一体といっていい。
満鉄OBらが戦後設立した「満鉄会」の事業を継承した満鉄会情報センターの天野博之常任理事は、「瀋陽の鉄道陳列館は以前から原則として、外国人には公開されていない。中国の国内向けとはいえ、『あじあ号』が反日教育に使われるとすれば不本意であり、残念だ」と話している。
満州の大地を疾走した「あじあ号」の機関車パシナ。悲しげな汽笛が聞こえてくるようだ。(かわさき ますみ)
「ぐるり台湾鉄道旅 知られざる鉄道遺産を求めて」>(BS朝日 2013.4.6放送)
俳優・大和田獏が様々な国を鉄道で“ぐるり”と一周する旅の第2弾!
今回は台湾を巡り、およそ120年に及ぶ台湾鉄道の歴史に想いを馳せます。
日台にまたがる鉄道の深い歴史…。
その起源はおよそ120年前。日本統治時代に軍事輸送を目的とした線路が敷かれたのを原点に、製糖・炭坑・森林鉄道など数々の産業鉄道が建設され、鉄道の発展と共に、台湾の経済は発展して行ったのです。一つ一つの線路には歴史があり、統治時代の名残りがあり、開発に携わった人の物語があります。
そして今なお、そんな「鉄道遺産」ともいうべき、かつての趣を色濃く残す駅舎・車両・線路などが台湾には数多く眠っているのです。俳優・大和田獏がそんなタイムスリップの旅に出かけ、「知られざる」日台の歴史と鉄道文化に触れていきます。
そして鉄道旅の道中、出会うのは台湾の“絶景”。ユネスコに加盟していない台湾ですが、実は「世界遺産」の候補となりうる絶景の数々が眠っているのです。台湾のナイアガラといわれる “十分大瀑布”、長年の風化や海により浸食されてできた大自然の石彫芸術“野柳の奇岩”、大理石でできた台湾随一の絶景スポット“太魯閣溪谷”、さらには数100万灯のランタンが灯る台湾最大の“ランタン祭り”など、日本では目にすることのない景色が獏さんを待っています!