先週末から今週初めまで、台湾の結婚式に出席するため高雄市を訪れた。昨年末、台湾最南端の鵝鑾鼻(がらんび)岬に行くために来たので、三か月ぶりになる。
8年ほど前、高雄市立歴史博物館(旧・高雄市庁舎)を訪れたときは、館内整備中とのことで、中には入れなかった。この建物は、日本統治時代の1939年、当時の高雄市庁舎として建設され、1992年まで高雄市庁舎として使用された。それ以降は、市立歴史博物館として使われている。
「1939年 昭和十四年 市役所建立」と書かれた館内の案内表示
今回たまたま、この高雄市立歴史博物館では「二二八事件微縮模擬場景 二二八 0306特展」という展示会が開かれていた。この博物館は、美しい愛河のほとりに位置して、今は市民の散歩コースになっているのだが、「二二八事件」では壮絶な殺戮の場と化した。
まず、現在の歴史博物館を正面から撮った写真を見ていただきたい。
高雄市立歴史博物館(旧高雄市役所庁舎)の正面 2016年3月12日撮影
1947年2月28日、中国国民党(蒋介石)政権は、台湾人の知識人・指導層を狙って政治弾圧を開始した。台湾全土で、何の法的理由、法的手続きもなく、三万人近い台湾人(台湾の日本語世代)が虐殺された。これが「二二八事件」だが、高雄市においても例外ではなかった。高雄における虐殺現場が、まさにこの市役所前広場だったという。「微縮模擬場景」という展示は、その情景をジオラマ式に次のように展示している。
二二八事件(1947年)における高雄市庁舎前の殺戮(「微縮模擬場景」展示)
蒋介石=国民党軍が行った「二二八事件」の虐殺を描いたイラスト絵
展示会のパンフレット
この「二二八事件」(1947年)は当時、GHQ統治下にあった日本には詳しくは伝わらなかった。実は、今なお、台湾人(本省人)の多くが「親日的」であるという事実の背景には、この事件の記憶が横たわっている。台湾では、李登輝氏が登場する1980年代後半になるまで、「二二八事件」の存在を口にすることさえできなかった。今から30年前、まだ多くの日本語世代は各界で活躍していたから、中国国民党一党独裁に対する憤りと、日本統治時代に対する肯定的評価が、実感として社会の隅々に潜在化していたに違いない。李登輝総統の登場による台湾の民主化が、一気にその感情を顕在化させたのだと言えるだろう。
東日本大震災時、最大の義援金を届けてくれたのが台湾だった。「悪いことばかりした日本」のはずなのに、かくも温かい支援が届いたのは何故なのか。この肝心な点に、マスメディアは全く触れなかった。その理由は、「中国はひとつ」「台湾は中国に属する」とする中共(中国共産党)の教条に逆らえず、「親日的台湾」に言及すれば中共の逆鱗に触れることを恐れたからだ。TV番組では「日本統治時代、日本は台湾の近代化に大きく寄与した」という事実に触れるのは、暗黙のタブーになっているはずだ。
繰り返しになるけれども、誰がいったい旧宗主国(日本)の建物に、旧宗主国の年号(昭和)で建立年を記すだろうか?中国が、韓国が、北朝鮮は…!?台湾をおいて他には考えられないではないか。台湾(中華民國)がいかに「親日的」であるかを示す実例なのだが、昨年7月、耳を疑うようなニュースが伝えられた。
それは「1971年、国連における中国代表権問題に関連して、昭和天皇が佐藤栄作首相に”蒋介石を支持するように”と伝えた」というニュースだった。ここには、二つの問題が存在する。
①日本国憲法では禁じられているはずの政治的発言を昭和天皇が平然とおこなっていたこと、
②昭和天皇は、自分の「命の恩人」である蒋介石を守れと言いながら、その蒋介石に無残に虐殺されたかつての「わが臣民」「わが民草」(=すなわち、日本統治時代を経験した台湾人)については、一顧だにせず、その酷薄さが明らかになったこと。
このニュースを聴いた、台湾の日本語世代(もう85歳以上になったご老人たち)は、何を思っただろうか。この昭和天皇の言動は「昭和」の年号を肯定する台湾人の心情を踏みにじるものではないのか。そのことを考えると、日本人が誤魔化してきた戦争責任の問題に改めて踏み込まざるを得ない気がしてくる。
上記のことは、ほとんどの人が言及しないのだが、ここで触れておく。
かつての国民学校の授業風景。「大東亜共栄圏」と書かれている。(館内展示)
旧高雄市役所であった歴史博物館の建物は、堅牢かつ質実剛健の趣。台湾を訪れ、日本統治時代の歴史建造物を見るとき、いつも近現代史を顧みる必要性を実感する。
「親日的」な台湾・台湾人がいつまでもこのままではありえないのだから、せっかくの友好を続けるためにも、歴史をありのままに直視すべきなのだろう。 日本統治時代の高雄市役所(高雄市立歴史博物館発行の絵葉書より)
階段の手すりには「桜」の文様が使われている。(右下)
愛河(Love River)のほとり(写真右)に歴史博物館がある
《高雄市立歴史博物館HPより「二二八事件」展示部分を転載》
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