ちょうど一週間前の日曜日(13日)、台湾・高雄の旗津地区を散歩。
高雄港のフェリー(20元)に乗って、対岸の旗津半島まで10分足らず。私は二度目、家人は初めての旗津だった。
家人は旗後天后宮、旗後灯台のような歴史建造物よりも、まるで「ブラタモリ」のタモリのように、海岸にある崖の地層に興味を抱いていたので、撮った写真は奇妙なものが多くなった。
昨年末、夕日が素晴らしかった旗津の砂浜は、今回は雨の中を駆け抜けるありさまだった。島の片隅には国府軍(中国国民党軍)が構築したトーチカの残骸が散在し、つい最近まで戦時体制にあったことを思い出させた。日本統治時代に作られたトンネルを抜けると、半島の反対側に。そこからは、対岸の高雄市街、国立中山大学などの文教地区などが見渡せた。そういえば、台湾映画「百年恋歌」(「最好的時光」2005年)の冒頭では、旗津に渡るフェリーボートが印象的だった。
「大陸反攻」を掲げた蒋介石時代には、一般市民が沿海部に近づくことは長い間禁じられたという。いろいろなことを思い出しながら、小雨の旗津を彷徨った。
《百年恋歌(最好的時光)2005年》より
2013年12月、台湾人のCご夫妻に案内されて、友人たちと訪れた台湾・高雄の台湾糖業博物館。そのことはこのブログにも書いたことがある。
先週の日曜日(3月13日)、今度は家人を連れてこの博物館を再訪した。現在は博物館だが、日本統治時代に作られた台湾製糖株式会社の高雄工場で1990年代までは稼働していた製糖プラント施設だった。前回は管理部門(事務棟など)の施設が開放されているだけで、工場施設は立ち入ることができなかったが、今回は工場内部にも参観コースを設置。工場周辺には公園風の施設も設けられて、歴史博物館の趣を新たにしている。
台湾に製糖業を根付かせたのは、「武士道」の新渡戸稲造。彼は、農学者でもあったから、1901年台湾総督府に招かれて、台湾糖業の将来展望を描いた。
彼の胸像は「台湾糖業の父」と説明がなされて、次のような場所に建っていた。
「台湾糖業の父」新渡戸稲造の胸像(2013年12月撮影)
計器類等の展示室に飾られていたのだが、今回行ってみると、その展示室はカフェに変身。新渡戸稲造の胸像は、その入り口に少し場違いな感じでおかれていた。
いま、新渡戸稲造はカフェの入口に。(2016年3月13日撮影)
前回、Cさんに新渡戸稲造のことを尋ねたら、その存在をご存じなかったから、日本の五千円札になった人と説明したら、驚いていた。
糖業博物館の入口 台湾製糖会社の事務室
参観できるようになった工場施設
公園部分は花が満開だった 聖母観音像(日本時代のもの)
和風建築の社宅(写真は工場長用) 「仙草凍」で一息
製糖工場内には鉄道の引き込み線。日本統治時代のSLが保存されている。
花の名前は分からなかったが、南国の鮮やかさが印象に…
この「台湾糖業博物館」は台湾鉄道(臺鐡)あるいはMRT(地下鉄)紅線(Red Line)の「橋頭糖廠駅」下車で、駅の目の前に見える。というのも、橋頭糖廠駅は地下駅ではなく、地上駅なので。高雄駅からおよそ25分くらい。半日たらずで、十分見学できる。高雄を訪れたら、ぜひとも…。