澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」を見る

2024年01月08日 20時08分54秒 | 音楽・映画

 『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』を見てきた。家人から優待券をもらって、郊外のシネコンへ。祭日だが、客は四割程度の入り。昨年の12月8日公開だから、まずまずのヒットなのだろう。

 予告編を見る限り、ひとりジジイが見るような映画ではないと思ったが、消去法で選んだらこの映画になってしまった。だいたい、女子高生が1945年6月の日本にタイプスリップして、特攻隊員の青年と恋に落ちるなどという設定自体が、素直に受け入れられるものではない。あまりに陳腐で、結論ははっきりしていると感じた。すなわち、制作者の意図は、「平和憲法」体制の護持、ナショナリズムの封印、お花畑的世界観の流布にあることは明白だと思われた。事実、女子高生・百合(福原遥)は、特攻隊員・彰(水上恒司)に「戦争は無意味」だと説く場面がある。これなどは、歴史を後知恵で裁くようなもので、あまりの陳腐さに辟易とさせられた。

 だが、全編を通してみると、いささか印象は変わってくる。タイムスリップが、実は夢の中の出来事だったとなると、お花畑的セリフも免罪符となる。すべては夢だった、チャンチャーンと終わる映画はざらにあったはずだから。
 しかし、百合は校外授業で「特攻資料館」を訪問したとき、彰が百合に宛てた手紙が展示されているのを見つける。そこで、あのタイムスリップは夢ではなかったかもしれないと映画は暗示する。そのへんの展開が結構上手なので、映画の最後には、こんなオッサンでもある種の共感を覚えた。

 若い出演者は好演、逆に松坂慶子の相も変らぬセリフぶりが引っかかる。この人は、全然進歩というものがないのかと。まあ、この映画は予想外によかったというのが私の結論。

『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』本予告90秒💐 12.8 (𝗳𝗿𝗶.) 𝗥𝗢𝗔𝗗𝗦𝗛𝗢𝗪 💐



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