都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
■元号の始まり
一般的に日本の最初の元号は「大化の改新」(645年~)でおなじみの「大化」と言われています。
元号制度は中国に倣ったもので、中国では紀元前2世紀中頃、前漢の武帝の時代に始まったとされます。
そのため日本で元号として使われてきたのは、中国の儒教の経典である四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)五経(『易経』『書経』『詩経』『春秋』『礼記』)から取った漢字2文字からなる言葉が大半で、最近の元号「明治」「大正」「昭和」「平成」もそうです。
しかし、奈良時代の一時期には「天平感宝(てんぴょうかんぽう)」など4文字の元号が使われていたこともありました。
前漢時代の中国は皇帝の時代であり、元号は、この世の秩序の神聖さ、正しさを代表する皇帝の良き統治の下に国があることを象徴し、それが長く続くよう祈るという性格を持っていました。
日本でも、天皇を中心とする律令制を敷く際、神聖な皇帝の統治という中国の理念に倣って元号が採用されたのです。
また改元の理由には地震・火山噴火などの自然災害や大火・流行病といった凶事、珍しい動物が見つかったなどの吉事もありました。
改元には、凶事ならばそれを払拭(ふっしょく)する、吉事ならばそれにあやかるといった宗教的意味合いも大きな要素としてあったのです。
元号は、中国や日本以外にも、朝鮮や越南(ベトナム)など中国に影響を受けた東アジアの国で使われていた時期がありました。ちなみに、日本の統治下で日本の元号を使用していた台湾では、戦後の1945年から、中華民国が成立した1912年を元年とする民国紀元の年号が使われています。
げん‐ごう ‥ガウ【元号】 〘名〙 中国、日本などで、ある時点から起算して年数を計算するための特定の称号。「大化」「昭和」の類。一般には天皇が元号を制定する特権をもつとされて従ったが、これを拒否して私年号・偽年号を用いる者もあった。また、明治以前は天皇一代に何度も改元することが多かったが、明治以後は一世一元と定めた。年号。→元号法。 ※皇室典範(明治二二年)(1889)一二条「践祚の後元号を建て一世の間に再び改めざること明治元年の定制に従ふ」 〔漢書‐李尋伝〕 精選版 日本国語大辞典の解説 |
■元号の平均期間
「元号」制度が始まって以来、平均するとこれまでに「元号」は何年に一度変更されたことになるでしょうか?
正解は、およそ5年に一度です。
5年に一度とは思いませんでした。超短期的期間で元号が変わったことになるのです。
かつて元号はころころ変わっていたのです。中でも驚くのが、歴代の最短記録です。
最も短かった元号は、「暦仁(りゃくにん)」で、なんと74日間という早さです。わずか2か月と14日。ちなみに鎌倉時代に存在した元号です。
りゃくにん【暦仁】 鎌倉時代、四条天皇の時の年号。1238年11月23日~1239年2月7日。 デジタル大辞泉の解説 |
改元の理由は、公文書には天災と記されているようですが、公家の日記などを編集した『百錬抄(ひゃくれんしょう)』という歴史書によると「暦仁(りゃくにん)」という漢字が「略人」、つまり「人が略されていなくなってしまう」ことを連想させて不吉であるという風評が広がり改元されたとの記述もあるようです。
■珍しい生き物の発見で元号が変わった!?
元号を変える理由として最も多かったのが、天災などの大きな災いなどです。ただ、中には「え、こんなことで!?」というような残念な理由で元号が変わったこともあります。
その一つが、ある珍しい生き物の発見です
それは、「スッポン」です。
奈良時代、甲羅に「北斗七星」の模様がある超珍しいスッポンが天皇に献上されました。
すると「これは天から授かった吉兆である」と喜ばれた天皇は、元号を「霊亀」に改めたといいます。
れいき【霊亀】 奈良時代、元正天皇の時の年号。715年9月2日~717年11月17日。 デジタル大辞泉の解説 |
ゆかりの品も現存します。1200年以上の歴史を誇る奈良・東大寺です。
その傍らに佇む正倉院の宝物に、「青斑石鼈合子(せいはんせきのべつごうす)」という亀の形の容器が納められているが、これはこの亀に似せて作らせたものと伝わっています。
ちなみに奈良時代には、なんと4回も「珍しい亀」をきっかけに元号が変更されていた、というから驚きです。当時、亀がどれだけ縁起ものだったかがうかがえます。
715年:珍しい亀が見つかったから「霊亀」(元正天皇)(715.09.02~717.11.17)
724年:珍しい亀が見つかったから「神亀」(聖武天皇)(724.02.04~729.080.5)
729年:珍しい亀が見つかったから「天平」(聖武天皇)(729.08.05~749.04.14)
770年:珍しい亀が見つかったから「宝亀」(光仁天皇)(770.10.01~781.01.01)
ちなみに何故か729年~だけ「天平」と亀と関係ない年号です。
■美肌効果で改元
ちなみに奈良時代には〝美肌効果〟が改元のキッカケになった例もあります。
そこは、岐阜県「養老の滝」の一角に湧き出る「菊水霊泉」という泉。
ある日、美貌の女帝と呼ばれた第44代「元正(げんしょう)」天皇がその地を訪れて、湧き水を飲んだところ「美肌つるつる」と大絶賛。感動のあまり、その地にちなんで「養老」に改元したといいます。
ようろう【養老】[年号] 奈良時代、元正天皇の時の年号。717年11月17日~724年2月4日。 デジタル大辞泉の解説 |
他にも縁起の良い雲の出現がキッカケで「慶雲(けいうん)」という元号が誕生したりしているので、奈良時代はきっと改元ブームだったのかもしれません。
けいうん【慶雲】 奈良時代、文武天皇・元明天皇の時の年号。704年5月10日~708年1月11日。きょううん。 デジタル大辞泉の解説 |
したっけ
【かってにせんでん部】
私の作品も展示されます。見に来てください。
minimarche
080-0018 帯広市西8条南6丁目7番地
ハーブティーは下記のお店「雑貨(Tkuru&Nagomu)で取り扱っていま
雑貨(Tukuru ・nagomu) 0155-67-5988
可愛い雑貨も、たくさんありますよ。
Cafe & Bsr Noix(ノワ) 0155-67-5955
落ち着いた雰囲気で、ゆっくり食事ができます.
http://www.d-kyoya.com/minimarche/
株式会社ディステリア京屋
080-0018 帯広市西8条南6丁目7 ☎0155-22-2151
↑:友人がオーナーの店です
![]() |
涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇 (22世紀アート) |
クリエーター情報なし | |
22世紀アート |
〈溶ける魚〉が背を這いずり、異国の香りが鼻腔を抉る、無頼の詩語は異界をたゆたい、イデア(idea)の入り口を探る——「幼年の濃い光の中で 時間の臓器は待っている」(本文より)心地よいリフレインが幻惑の世界へと誘う「音更日記」、言葉の配置と表現形式にこだわった「光る雪」、グロテスクな言葉の暴力で異質な世界を構築した「青」など計18篇を収録した、小熊秀雄賞受賞詩人の詩集。言葉が持つ魔術的な美を、無意識の泉から掬い上げた、幻想的かつ根源的な一冊。
地元在住で日本でトップクラスの女流詩人です。
倉内佐知子の詩を読むと他の詩人のなまぬるい詩は読めなくなります。それくらい強烈なインパクトのある詩集です。
倉内佐知子の入門書としては最適な一冊です。
電子書籍 1000円 パソコンで読めます。
![]() |
絵手紙セット 葵+顔彩24色 |
クリエーター情報なし | |
オリジナル
|
![]() |
マルマン ポストカード 絵手紙用 画仙紙(越前) 手漉き S133C 100枚 |
クリエーター情報なし | |
マルマン(maruman) |
![]() |
色紙 F6号サイズ 画仙紙 10枚 / 410×318mm / 京都府知事指定伝統工芸品 |
朱陽堂 | |
朱陽堂 |
|
長栄堂 絵手紙用筆セット高級用 4本セット |
クリエーター情報なし | |
長栄堂 |
![]() |
モリベクリエーション 機能筆 面相筆 小 MB-8S |
クリエーター情報なし | |
モリベクリエーション |
![]() |
ナムラ デザイン筆 イタチ面相 極小 |
名村大成堂 | |
名村大成堂 |
![]() |
GSIクレオス Gツール GT45 Mr.筆置き |
クリエーター情報なし | |
GSI クレオス(GSI Creos) |