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「刺青の起源と歴史」について考える

2009-07-24 11:06:51 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

Photo ヨーロッパが刺青を再発見したのは、1771年のクック船長の南洋諸島探検からの帰還であるとされている。1769年にタヒチに上陸したクック船長は、現地の男女が身体に刺青を入れていることを、その航海記で紹介した。英語の「タトゥー」は、タヒチ語で刺青を意味する「タツ」が語源であることはよく知られている。

日本の刺青の起源は正直言ってはっきりしない。「魏志倭人伝(280-290年間)」(中国の正史三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の倭人の条の略称)には「邪馬台国の住民は全身に刺青をして、抜歯をしたり歯を黒くしたりしていた。」と記述があるように、刺青の習慣が古くからあった。また『古事記(712年)』の神武天皇東征の条には、「大国主命」(おおくにぬしのみこと)の黥利目Photo_2 (さけるとめ、目のまわりに入れ墨をした鋭い目)の記述がみられます。第17履中天皇(りちゅうてんのう)の条にも同じような入れ墨の記載がある(5世紀)

この黥利目(さけるとめ)と同じことを、最新の美容整形で施術されているのも面白いですね。

日本書紀(720年)」には「罪死に当たれり。然るに大なる恩を垂れて死を免し墨を科す」という記述があります。日本書記にはこれと同じような記事が幾つかあって広くそれは行なわれていたものと考えられる。また、文身ぶんしん)という文字はたいへん古く、日本書紀に記されていて「みをもとろげ」といい、(み)をもとろげ=(まだら)にするという意味をもっています。

大化の改新:大化元年(645年)後刑罰の種類は罪・徒罪・流罪・死罪の4種類に分けられ墨刑は省かれた。いずれにせよ肌に墨を入れる習慣は装飾と処罰、二つの目的に別れながら古い文献に残されています。その習慣は大和朝廷が成立する頃には消滅していました。

耳や鼻飾りや身体彩色とともに、刺青の習慣の起源は古いのです。古代から私たち人類は、直接身体を飾ってきた。アフリカの洞窟遺跡の岩面画に刺青を入れたと思われる人たちが描かれていますし、Photo_3 古代エジプトのミイラにも、刺青の痕跡が見られます。特に興味深いのは、刺青が医療行為の一つとして用いられていた形跡が見られることです。ミイラ化した古代の遺体を検証すると、骨折等でダメージを受けた部分に刺青が入れられているケースが頻繁に見られています。

  日本で刺青に縁のあるのは一部の特殊な人々(博徒など)だけになっています。また江戸時代には、刑罰としての入れ墨も行われた。これは中国の墨刑に習ったもので、Photo_9 「ギジの刑」、つまり耳・鼻をそぐ刑に代わるものとして、罪人の腕に幅3(1cm)ほどの2筋の入れ墨を行った。おもに盗犯者に用いられ、藩によっては額に一画ずつ「犬」という字を掘り込み、Photo_4」の入れ墨を施さていた者が捕まると、犬にも劣るものとして死罪になりました。これは四回までは許すが、五回目は無いということです。前科者を入れ墨者というのはこれによる。1872(明治5)太政官令によって、これらは禁止になった。

Photo_10 沖縄の女性たちも、明治初期ごろまで「ハジチ」と呼ばれた刺青を手に入れていた。この刺青がないと、死後成仏することができないと伝えられていたためと言われている。

 またアイヌ民族の女性は、口辺部と上腕部に刺青を入れる習慣があった。その理由としPhoto_5 て、「醜くして和人に奪われないため」などと説明される場合もあったが、実際のところまだ明確になっていない。この刺青は、女性が婚期に到達するまでに完成されるべきであるものから、むしろ社会的地位を表すものではなかったか、と考えられる。

 私の子供の頃(1950年代)は、口に刺青をした女性がまだいましたが、結婚すると刺青をすると聞いていました。アイヌ民族のユーカラ(口承英雄叙事詩)などには、若い女性の美をたたえる中で、「彼女は美しい刺青を入れている」というフレーズが見られます。この習慣は、1869年に北海道に設置された開拓使によって、「野蛮である」と禁止されるまで続きました。

アイヌ民族は、顔部に施された刺青を醜く感じる本土和人の価値観を共有していたわけではなかったのです。

2  口辺部の刺青を醜く感じるのは、偏った自民族中心主義的見方だが、顔部に刺青を施す習慣は、意外なほど広範囲にわたって広まっていたのです。中国Photo_11 や台湾の少数、先住民族にも多くみられます。中国独龍江沿岸地域に住むトゥールン族の女性も、顔に刺青を施す習慣がありました。また南太平洋の広い範囲でよく行われていた。ニュージーランドのマオリ族の女性は、あごに社会的権威を表すための刺青を入れていました。その刺青は、「モコ」と呼ばれていた。北に目を向けると、カナダに居住するイヌイットもその中に入るでしょう。それに、シベリアのヤクート族、チュクチ族も挙げられます。

 

欧米諸国による植民化と近代化の波の中で、一時期彼らは刺青の習慣禁止を強要されたようでしたが、最近、特に南太平洋の先住民族たちのあいだで、自分たちのアイデンティティや誇りを象徴するため、再び刺青を入れる若者が多くなったといわれています。社会の多数派から自らの違いを強調するために、過去の習慣を用いることは興味深いですね。

1 Photo_7 Photo_8 日本刺青の芸術性は世界に誇りうる、「生きた美的空間」として、赫々(かっかく)たる国際的評価を得ています。日本人独特の美的観念と精神構造が、庶民文化の極美として開花し、今日まで連綿と受け継がれてきた日本刺青。その伝統と美の根源をこれから探ってゆきたいと思います。

 伝統的な日本刺青は、古代の縄文土偶にみられるプリミティブ(=原始的)な紋様刺青、琉球・アイヌ民族の習俗刺青、入ぼくろなどの起請彫、刑罰の入れ墨などをのぞけば、江戸時代の文化・文政(18041818年)のころから、平成の今日まで、脈々と日本男子の勇み肌艶めく女肌キャンバスとして絢爛豪華に、ときには(いき)に彫りつがれてきました。

 日本刺青の歴史と由来をたぐっていくと、その時代の社会状況、文化芸術、風俗流行などが刺青肌の針孔を透して、のぞきみすることができます。

 昨今は伝統的な日本刺青(ほりもの・文身)を、「和彫り」(わぼり)と表現していますが、これは西洋式彫りものを、「洋彫り」(ようぼり)といっている対語なのでしょう。単に「ほりもの」といえば、日本式の刺青だけという意味あいが強いようです。

 「ほりもの」という文字は、近松門左衛門(江戸中期の浄瑠璃脚本作者)の「女殺油地獄」享Photo_6 保六年(1721年)に、江戸ことば語りとしてでてきます。「ほりもの」と言ったのは、浮世絵の版木を彫刻するさまに似ていたからです。江戸時代の書誌にも多く、俗語で「ほりもの」といっていたようです。

 「刺青」といわれるようになったのは、明治以降だそうです。

Photo_12

  現代において「分身」、「彫りもの」、「入れ墨」、「刺青」、「タトゥー」と言葉を使い分けていますが、それぞれ、意味合いが微妙に違うのではないでしょうか。

したっけ。

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
★NDBさん★ (都月満夫)
2012-12-13 13:00:21
★NDBさん★
アイヌ民族は東北地方から樺太まで住んでいたようですから当然方言もあるそうです。文字を持たないアイヌ文化、アイヌ語の解明にはこれが厄介だと聞いたことがあります。
したっけ。
返信する
アイヌにも地方によって方言があるらしいですね (NDB)
2012-12-13 12:12:05
アイヌにも地方によって方言があるらしいですね
アイヌの刺青にも地方性はあるのですかね?
返信する
★ゆうこさん★ (都月満夫)
2012-05-25 09:22:04
★ゆうこさん★
どうぞどうぞ。私の記事で役に立つのなら・・・。
ただ、私は学者ではありませんので学術的な裏づけは在りません。それなりの調査はしていますが・・・。
したっけ。
返信する
はじめまして。 (ゆうこ)
2012-05-24 23:03:17
はじめまして。
大阪市の橋下市長の、市職員が刺青をしているかどうかの調査のことを調べるうち、
貴ブログにたどり着きました。

アイヌの女性の刺青、理由が悲しいですね・・。私はアイヌのことを何も知らない、という気づきになりました。

事後報告で申し訳ないのですが、この記事をリンクさせていただきました。

また訪問します。
失礼します。
返信する
★けんとさん★ (都月満夫)
2011-10-17 15:43:17
★けんとさん★
どこで調べたといわれても、「オヤジの雑学」ですから・・・。
したっけ。
返信する
この「刺青の起源と歴史」はどこで調べられたので... (けんと)
2011-10-17 15:00:38
この「刺青の起源と歴史」はどこで調べられたのですか?
返信する
面白い! (KEN-D)
2009-08-14 16:26:38
面白い!
全部読んでしまった

次は海賊船を入れる予定だったけど
心が、いや魂が和彫りに揺らいだ
返信する

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