今日、2月8日は「針供養」の日です。針供養と言うのは古くから行われています。
以前裁縫学校などが盛んな頃はよくおこなわれていてニュースにもなりました。
今は針供養とは言っても意味がよくわからない方も多い事でしょう。
■針供養の意味はどういう意味なのでしょうか?
各地に神社やお寺で行われている行事です。
主に「淡島神社(粟島神社)」または淡島神を祀る堂(淡島堂・粟島堂)がある寺院で行われています。
一般の家庭でも、昔は針仕事を休んで、里芋(サトイモ)、牛蒡(ゴボウ)、大根(ダイコン)、人参(ニンジン)、焼き豆腐などの煮込みを作って食べたそうです。
そして、針箱を整理し、折れた針や錆(さ)びたり曲がったりした針があると、豆腐またはこんにゃくに刺して「淡島(あわしま)の神」に供えました。これらの針はその後で、土に埋めました。
「淡島の神」とは、和歌山県加太(かだ)町にある加太神社のことで、「淡島さま」「淡島明神」ともいいます。祭神は牛頭天王(ごずてんのう)の妃(きさき)で、沙伽羅(しゃがら)龍王の三女です。俗に「婆利才女(はりさいにょ)」といわれるところから、「婆利(はり)」に「針」を通わせて、針仕事の上達を祈るようになったといわれます。
■針供養の起源
一説では、“生まれた土地の神様を祀る日には、針仕事を休む”という意味をもつ「社日(土地神の祭日)に針線(針と糸、針仕事)を止む」という中国の習わしが起源になっているそうです。
さらに日本では、古くから12月8日と2月8日を「事八日(ことようか)」と呼び、事を始めたり納めたりする大切な日としていました。
こうした風習が結びついて、地域によってどちらか一方の日、もしくは両日に針供養が行われるようになったそうです。
平安時代に清和天皇によって法輪寺(京都)に廃針を納めた針堂を建立したことから針供養がおこなわれるようになったということです。
9世紀後半にはごく一部ではありますが日本に針供養の風習があったことは確実と考えられています。
鉄の針が大量に生産されるようになったのは室町時代までさかのぼります。
江戸時代、淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、その御神徳を説いて廻る淡島願人と呼ばれる人々が現れました。それ以降、和歌山の淡島信仰と結びついた針供養の風習が淡島願人を通じて江戸時代の中期以降に日本全国に広まっていきました。
東北地方の一部には、姑(しゅうとめ)に、針山の針を盗んだという、無実の罪を着せられて、海に身を投げて死んだ嫁(よめ)を供養するために、針供養を始めたという悲しい伝説もあそうです。
■針供養はいつするのか?
2月8日、または12月8日に行われます。
2月8日は「事始め」の日でもあります。
2月8日の「御事始(おことはじめ)」や12月8日の「御事納(おことおさめ)」の日に針供養を行う地方が多いです。 そもそも御事始や御事納の両日は「事八日(ことようか)」といわれ、物忌みの日にあたります。 事八日が物忌みの日となっているのは、事始めから事納めまでの期間を農事の期間、それ以外を神事の期間としていた事から、その境目である事八日には魔物や妖怪が徘徊するといわれていた事に由来します。 関東周辺では、この日の晩に“一つ目の妖怪”が出るといわれており、ざる、ふるい、籠などを家の出入り口などに高く掲げておくと、籠の目の多さに一つ目小僧が驚いて逃げ出していくと信じられてきました。 また、日本海沿岸では、「ハリセンボン」というフグがやって来る日だともされ、浜辺に打ち上げられたハリセンボンを見つけて軒先につり下げ、厄よけとする風習もあります。 ほかにも、長野県では、わらで大きなムカデや足半(あしなか)草履などを作る厄よけの行事があります。 面白いことに、12月8日と2月8日、どちらの日を「事始め」「事納め」とするかは地域によって異なり、一定ではありません。 たとえば東京では、12月8日を“正月準備を始める”意味での「事始め」、2月8日を“正月行事の終わり”の「事納め」とするのが主流だといいます。 しかし反対に、群馬県などのように、2月8日を“農作業を始める(田植えなどの準備をする)”の意味で「事始め」、12月8日を“農作業を終える(収穫などを済ませる)”の意味で「事納め」とする地域も少なくありませんし、事八日には「田の神・山の神などが訪れる」という伝承も存在します。 また、西日本では12月8日のみをハレの日とする場合も多く、事八日の伝承は各地で差があることが分かります。 |
農作業や裁縫も休んでいきます。それから一年の作業が始まるのです。その一方で西日本では事始めと事納めの考え方が違っているのです。
一般的には2月8日が針供養の日にちで関西地方や九州地方では12月8日が一般的となります。
でも、大阪天満宮では2月8日となり加太の淡嶋神社針祭では2月8日、嵯峨の法輪寺では12月8日と2月8日の双方に行われるなど、必ずしも地域によって日時が固定されているというわけでもないのです。
関東地方や東北地方の一部では両方という地域もあります。ほとんどはどちらか一方の日に行われています。
■針供養は何をするのか内容は?
針供養では何をするのでしょうか?内容について説明していきます。針供養では使えなくなった針を神社に納めていきます。
神社に納めていく他に豆腐や蒟蒻のように柔らかいものに刺したりして供養していきます。
そして、裁縫の上達を祈っていくものです。
また、かつては土の中に埋めるという事もありました。
針を刺した豆腐や蒟蒻はどうするのかと言うと川や海に流して供養するという型式で行われていた地域もありました。
長野県の一部地域 (佐久地域) |
針を豆腐に刺して神棚に上げたり、縁の下に投げ入れたりする供養が行われている。 |
富山県や石川県の一部地域 |
結婚して初めての針供養を「針歳暮(はりせいぼ、または、はりせいぼう、はりせんぼ)」と呼び、お嫁さんや娘さんの幸せを願い大きな大福餅を嫁ぎ先へ届ける「針歳暮(はりせいぼう、はりせんぼん)」が行われており、それを受け取った嫁ぎ先では、親戚や近所に配る風習がある。 (お菓子屋さんにはそれ用のセットが販売されています。) |
東北地方や北陸の一部地域 |
昔々姑に針山の針を盗んだ無実の罪をきせされて海に身を投げて死んだ嫁の供養の為に針供養が始まったという伝承がある。 姑と仲が悪かった嫁が海に身を投げたら嫁の魂がハリセンボンという魚になり、命日が近づくと海が荒れハリセンボンが沢山打ち上げられ、その様子を見に来た姑の顔に食いついた。 |
京都の一部地域 |
竜宮城の乙姫様の針を盗んだフグが、罰として体から無数の針が突き出してきたハリセンボンの姿になった。 |
福岡県の一部地域 |
海に打ち上げられたハリセンボンを探し、尾を糸でくくって門口に吊るして悪魔除け、流行り病除けとして使う。 |
新潟県佐渡の一部地域 |
ハリセンボ団子を作って家の外に供え、子供が橋を渡らずに七件の家を回ってこの団子を食べると裁縫が上手になるという言い伝えがある。 |
島根県の一部地域 |
針供養の前日に小豆餡をいれた団子を作って針を刺して針箱の上に供え、翌日川へ流す風習がある。 |
現在では家庭で針仕事を行うことが少なくなりました。
家事作業における感謝や祈願の意で行われる事は少なくなったものの服飾に関わる分野の方々は今でも行っています。
また、和裁や洋裁の教育機関や企業では現在も行われています。
■なぜ、豆腐やこんにゃくの柔らかいものに針を刺していくのでしょうか?
その理由は、「今まで長い間沢山の硬い生地に差し込まれていた針、針さんも辛かっただろうね。最後は柔らかい物の中で成仏してくださいませ」と言う意味が込められているので柔らかい豆腐やこんにゃくとなっているのです。
したっけ。
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倉内 佐知子
針供養は一度だけ持参でお寺さんへ!行ったことがあります。
嫁に来て裁縫を覚えました(笑)
浴衣は自分で独学で縫いました。
今は、あまり手仕事しなくなり・・・折れる針もないです(;^_^A
昔は浴衣などは自分で縫っていましたね。
今は裁縫などする人も少なくなりましたね。
針を持つのはボタンがとれたときくらいですね^^
したっけ。
針や身の回りの道具を大事にする気持ちを
大切にしていたんですね。
パッチワークをしなくなってから
針はほとんど持たなくなりました^^
洋裁や和裁の教室が盛んだったころは、良く行われていました。
今は、教室もなくなりましたからあんまり見なくなりました。
お仕事にされている方は、今でもやっているかもしれません。
物を大事にする気持ちは、日本人独特のものがありますね^^
したっけ。