都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
1年の始まりを祝う「お正月」には、日本ならではの風習がたくさんあります。しかし、お正月っていつまで? と疑問を持っている人もいるのではないでしょうか。
■正月の語源
- その一
もともとお正月は、新しい年の穀物の実りをもたらし、子孫の繁栄を見守ってくれる「年神(としがみ)さま」または「年(歳)徳神(としとくじん)」「正月様」とも呼ばれている神さまをお迎えする行事でした。
お正月の「正」には、「年の初め」「年があらたまる」という意味があり、「新魂(あらたま)の年のはじめ」という言葉があるように、「たましいが若返り、新しくなる」一年のはじめの月という意味があります。昭和20年頃までは、日本では誕生日ではなく元旦に、みんな一緒に歳をとって、お正月を祝っていました。
つまりお正月は、祖先とともに新しい年を迎える時で、全てが新しく始まる節目なのです。
これを数え年と言います。聞いたことがあると思います。
- その二
正月の語源は、事物の起源や語源・語義を解説した室町中期の類書「あいのうしょう」の説が有力とされます。
それには、「政治に専念した秦の始皇帝の降誕の月をセイグヮツ(政月)と言っていたものが、正月と書かれるようになり、シャウグヮツと改められた」とある(正月の旧かなは、「シャウグヮツ」)。
1月3日までの「三が日」や、1月7日または15日まで門松を飾る「松の内」が、お正月の期間だと認識されている方も多いでしょう。
今日は「鏡開き」です。お供え餅を頂いてお正月気分に一段落つける人も多いのではないでしょうか。
正月(読み)ショウガツ 1 1年の最初の月。1月。むつき。また、年の初めを祝う行事が行われる期間。「盆と正月が一緒に来たよう」「正月気分が抜けない」「寝正月」《季 新年》「―の太陽襁褓(むつき)もて翳(かげ)る/誓子」 2 楽しく喜ばしいこと。「目の正月をさせてもらった」 デジタル大辞泉の解説 |
しかし、「正月」は『デジタル大辞泉の解説』にもあるように、“1年の最初の月”、“1月”、”むつき“を意味する言葉です。
暦の上では1月31日までがお正月となるのです。
したっけ。
全種類1セット120円
「花魁でありんす~ 日本語版」24種類
「キタキツネ物語」8種類
「ワンコ親父」8種類
「ワン子さん」8種類
「頑固おやじが怒ってる」8種類
「ばあちゃんの教え」8種類
「だるまさんが口論だ」16種類
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ハーブティーは下記のお店「雑貨(Tkuru&Nagomu)で取り扱っています
雑貨(Tukuru ・nagomu)
0155-67-5988
Chef's dish
食べログでメニュ―が見られます↓
Chef's dish Noix シェフズ ディッシュ ノワ
(【旧店名】Cafe&Bar Noix)
詩集「涅槃歌」
倉内 佐知子
私の一押しの詩集を紹介します。現代女性詩人のトップクラスの詩を感じてください。魂が揺さぶられます。これは倉内佐知子の入門としては最適な詩集です。一度読んでみて下さい。
〈溶ける魚〉が背を這いずり、異国の香りが鼻腔を抉る、無頼の詩語は異界をたゆたい、イデア(idea)の入り口を探る——「幼年の濃い光の中で 時間の臓器は待っている」(本文より)心地よいリフレインが幻惑の世界へと誘う「音更日記」、言葉の配置と表現形式にこだわった「光る雪」、グロテスクな言葉の暴力で異質な世界を構築した「青」など計18篇を収録した、小熊秀雄賞受賞詩人の詩集。言葉が持つ魔術的な美を、無意識の泉から掬い上げた、幻想的かつ根源的な一冊。
海鳩
―潮騒が希望だったー
ぐしゃぐしゃに砕かれた大顎の破片が散乱し
ているのは知っていたがここのものではない
さんざん悪質を通過しなお何ものとも繋がら
ない兵器的非感覚の海を死生の循環の内へと
流し込むなど可能かぶふぅィ暫し棘状の海塚
にうずくまりわたしたち固有の肉体がはぜる
記憶のふあんに堪える堪えて噛む海鳩が翔ぶ
〈母ァさん 母ァさん〉
あなたさえ答えようもないのです
(後略)
迎春 慶春 寿春 福春 初春 賀春 新春 頌春
年賀状で上記のような賀詞を使うことがあります。春を使った賀詞です。
お正月は冬真っただ中なのに、何故春なのか不思議に思ったことはありませんか?
その答えは「立春」にあります。
「立春」は二十四節気の中で「四立(しりゅう)」と呼ばれる季節の始まりとされる日の一つです。例年2月4日頃が「立春」に当たります。
「立」には新しい季節になるという意味があり、立春、立夏、 立秋、立冬は季節の大きな節目。これらを四立(しりゅう)といいます。 |
「立春」は春の初めを告げる、二十四節気の“第一節気”で正月節とも言います。 つまり一年の始まりと考えられます。 その前日の「節分」は大晦日となり、新しい年を迎えるにあたり、邪気払いや厄払いをするために豆をまきます。
正確な暦がない時代は「自然歴」といって動植物の様子を目安とする方法が使われていました。「◯◯が鳴いたら、××の種を撒く」という風に動物の動きや野生の植物のようすで今が季節のどのタイミングが推測する方法です。
二十四節気の下にある七十二候は「鶯が鳴く」「魚が氷を割って飛び出てくる」という風な意味合いの物があり、自然暦の名残を思わせる内容になっています。
二十四節気は太陰暦のような、気候と暦のずれはありません。しかし本来は約2600年前の中国の黄河地方の気候に基づき作られた暦であるため、実際の日本の気候とは多少のずれが生じます。
ですが、毎年同じ時期に同じ節気がくることや節気の感覚が約15日で一定しており、半月ごとの季節変化に対応出来ることなどから、農業の目安としては非常に便利であり、日本に導入されるようになりました。
1844年に最新の天文学の知識による改良を加え、1年を太陽の黄道上の位置によって春分点から15度ずつ移った点を区分点と改めました。これにより、暦と季節のズレは多少改善されましたが、太陽の軌道が正円では無いことから、この方法だけでは運行速度の遅速が生じるため「閏年〔うるうどし〕」を設けてズレを調整しています。 日本では1873年に太陰暦から太陽暦に改暦されましたが、現在でもカレンダーの日付の横に二十四節気が記載されていることがあります。 |
「立春」は春の始まりとされる日です。昔はこの「立春」を一年の始まりとして扱う習慣がありました。この頃は一年で一番寒い時期が終わり始める頃になり、草木の芽吹きの気配が感じられるので一年の始まりとしてはふさわしい雰囲気があります。
ところが、旧暦の時代では前の年が終わっていないタイミングで立春になってしまう事があったのです。この事は古今和歌集の中に詠われてもいます。
年のうちに春は来にけりひととせを去年こぞとや言はむ今年とや言はむ
有名な在原業平の孫である、在原元方が詠んだ歌です。
流石に古今集の冒頭を飾るほどの歌ですから、どこかで耳にし、或いは目に したことのある歌なのでは無いでしょうか。
歌の意味は、「年が変わらないうちに立春が来てしまったこの年を、去年と 言うべきか、今年と言うべきか」と言ったところでしょうか。
「年末にお正月の象徴の日が来てしまう」という事が当時の人達にとっては大問題だったのかもしれません。
どうしてこんな事が起きたかというと、二十四節気は太陽歴に基づく物で旧暦は太陰暦、月の運行に基づくものだからです。 地球の公転周期は約365.24日となるため、4年に一回閏日を設定するだけで暦の調整がすみます。逆に太陰暦は月の運行を元にしているので3年に一度「閏月(うるうづき)」を入れて一年を13ヶ月として調整する必要があります。このように異なる2つの暦を併用していた弊害で年が開けないうちに立春を迎える原因になってしまったわけです。 |
ちなみに旧暦12月に立春が来る(年内立春)確率はほぼ1/2で、旧暦の1月1日に立春が来た年は「朔旦立春(さくたんりっしゅん)」としてとても縁起が良いとされたそうです。
前回の「朔旦立春」は1992年、次回は2038年と予想されています。
現代の感覚では元旦があるのに立春が年の始めでもあると言われてもピンと来ないかもしれません。でも、立春をお正月としていた名残は今でも残っています。
二十四節気の日本の気候に合わない部分をカバーするため、雑節と呼ばれる歴日が設けられていますが、その幾つかの起点となるのが立春です。茶摘み歌に出てくる「八十八夜」は立春から88日目で遅霜が出るのを警戒する時期となります。平年は5月2日、閏年は5月1日となります。日付の名前の雑節は八十八夜以外にも「二百十日」と「二百二十日」があり、台風が起きやすい厄日として扱われていたそうです。
お正月に落ち着いて新年を迎えられなかった…という方は改めて立春を新年の始まりとして新しい事を始めてみる日にしてもいいかもしれません。
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詩集「涅槃歌」
倉内 佐知子
私の一押しの詩集を紹介します。現代女性詩人のトップクラスの詩を感じてください。魂が揺さぶられます。これは倉内佐知子の入門としては最適な詩集です。一度読んでみて下さい。
〈溶ける魚〉が背を這いずり、異国の香りが鼻腔を抉る、無頼の詩語は異界をたゆたい、イデア(idea)の入り口を探る——「幼年の濃い光の中で 時間の臓器は待っている」(本文より)心地よいリフレインが幻惑の世界へと誘う「音更日記」、言葉の配置と表現形式にこだわった「光る雪」、グロテスクな言葉の暴力で異質な世界を構築した「青」など計18篇を収録した、小熊秀雄賞受賞詩人の詩集。言葉が持つ魔術的な美を、無意識の泉から掬い上げた、幻想的かつ根源的な一冊。
海鳩
―潮騒が希望だったー
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〈母ァさん 母ァさん〉
あなたさえ答えようもないのです
(後略)
師匠から絵手紙が届きました。
今回は「ガリンコ号」を描いてきました。
師匠は、短歌誌「樹々」の支部が紋別にあるので仲間が良く流氷の歌を詠んでいるそうです。
体重は少し落ちてきたそうです。
私の年賀状が、新聞の「自慢の年賀状に載ったのを見てくれたようです。
2021年冬 ガリンコ号Ⅲ IMERU就航! 新造船 ガリンコ号Ⅲ IMERUが2021年1月9日~就航します。現在運航しているガリンコ号Ⅱとの2隻体制となります。IMERUとは 光 を意味するアイヌ語です。ガリンコ号Ⅱよりも速度が上がった他、3階建てとなっており、より多くのお客様にご乗船いただけます。運航時間は約1時間、船首にある2本のアルキメディアンスクリューが固い流氷を砕きながらオホーツク海を進みます。海上では、アザラシの他、天然記念物に指定されているオオワシやオジロワシなどの野生生物に出会えるかもしれません。今年の冬も紋別で感動の流氷体験はいかがでしょうか。 今回はガリンコ号が誕生するまでの歴史についてご紹介いたします。今では紋別観光の代名詞とも言えるガリンコ号ですが、もともとは、アラスカ油田開発のための作業基地と支援基地を結ぶ、人員・資材の輸送確保のため、海上および氷上を移動することを目的とした実験船として開発されたことがスタートでした。 就航時、定員は32名でしたが、その後2階建てに改造され、70名に増員されました。初代の「ガリンコ号」は、1996年までの10年間運航され、翌年から現在の「ガリンコ号Ⅱ」(定員195名)が運航を開始し、約24年間多くのお客様に流氷の素晴らしさと感動を与えています。 ちなみに「初代ガリンコ号」は現在のガリンコ号乗り場の近くにある、「オホーツクとっかりセンター」の横に展示されており、気軽に見ることができます。間近で見ると意外(!?)な大きさにきっと驚かされる事でしょう。 |
師匠! 今回は「オホーツクの風物詩」ですね。
私は「網走湖のワカサギ釣り」を描きます。
令和3年1月5日〜3月21. レンタルOK!手ぶらでも楽しめるそうです。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
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倉内 佐知子
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(後略)
昨日の記事に、正月1日に鶏、2日に狗(いぬ)、3日に羊、4日に猪(いのしし)、5日に牛、6日に馬、7 日に人、8日に穀を占うと書きました。
七草に隠れて、存在感が薄い「穀日(こくじつ)」について、今日は書いてみます。
人日
「人勝節」、「人慶節」、「人口日」、「人七日」ともいいます。女媧が人間を作った時、正月1日に鶏、2日に狗、3日に羊、4日に猪、5日に牛、6日に馬、7日に人を作ったため、この日は人間の誕生日と定められました。
漢代から人日の節句があり、魏晋後重視されました。昔、人日に「人勝」を髪飾りにする風習があり、「人勝」とは色とりどりのきれいな髪飾りで、「彩勝」、「華勝」とも言われます。晋代から絹人形を作り、またはなどで吉祥を願うひとがたの飾りを作り、屏風にはり、髪にもつけます。それ以外に、高いところに登り詩を作る習慣もあります。
唐代後、この節句がさらに重視されます。人日になると、皇帝は群臣に「人勝」を賜り、高いところに登り群臣に盛大なごちそうをします。正月7日は晴天ならば吉の兆しであるとされます。
女媧(読み)ジョカ 中国古代神話上の女神。人首蛇体。伏羲(ふっき)と夫婦、また、兄妹ともされ、人類の創造主とする伝承もある。一説に、三皇の一人。泥をこねて人間をつくり、天が崩れそうになったとき、5色の石を練って天を補修したという。 デジタル大辞泉の解説 |
穀日(こくじつ)
正月8日は穀の誕生日だと伝わります。この日は晴天ならばもみごめが豊作で、雨天ならば凶作であるとされます。
元となったのは「荊楚歳時記」という古い書物で、正確には、『荊楚歳時記(けいそさいじき)』1巻 梁の宗懍の著。
6世紀の中ごろには成立したと考えられています。
中国で最初に成立した歳時記で、著者の郷土の荊楚地方に行われていた年中行事や習俗をありのままに記録しています。
後に補筆された八日以後については江蘇古籍出版『清嘉録』によると、「七人八穀」まではよいとして、次に「九日為天日十地為地日」【九日を天の日とし、十日を地の日とする】と続き、七日の人日以後、八穀から十日の地の日までの四日間のお天気について「人視此四日之陰晴占終歳之災祥」【人々はこの四日間、晴れか曇りかによって一年の吉凶を占う】といい、これを天気占いというが、別な説もあって「九日豆十日麦」というものもある。 その校注には、「有七人八穀之説遂以九天十地付会之」【七日を人の日、八日を穀の日というのはまだ許せるとしても、遂には九日を天の日、十日を地の日などとこじつけた】とある。天の日(または豆の日)や、地の日(または麦の日)として占うのは、東方朔『占書』の流れによるもので、人日を例にとれば「七日占人」【七日は人を占う】ということになる。 |
女媧(ジョカ)という中国古代神話上の女神が、1月1日から7日までに、それぞれの動物を作ったというのです。
これは、新しい発見です。それぞれを占うのではなく、誕生した日だったのです。
これは「天地創造」と重なります。
1日目 |
神は天と地をつくられた(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができられた。 |
2日目 |
神は空(天)をつくられた。 |
3日目 |
神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせられた。 |
4日目 |
神は太陽と月と星をつくられた。 |
5日目 |
神は魚と鳥をつくられた。 |
6日目 |
神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくられた。 |
7日目 |
神はお休みになった。 |
人間の考えることは、みな同じのようです。
「穀日(こくじつ)」について考えると言った割には、2行程度の記述しか見つかりませんでした。
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もともとは旧暦の1月7日(現在の2月頃)、人日(じんじつ)の節句に食べられていた「七草粥」。唐の時代に食べられた「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」と、万葉集でも詠まれた「若菜摘み」とが合わさってできた風習だと言われています。
中国では、前漢の時代、東方朔(とうほう さく、紀元前154年 - 紀元前93年)は、前漢の武帝時代の政治家)が記した占いの書に、正月1日に鶏、2日に狗(いぬ)、3日に羊、4日に猪(いのしし)、5日に牛、6日に馬、7 日に人、8日に穀を占ってその日が晴天ならば吉、雨天ならば凶の兆しであるとされています。
それぞれの日にはその動物を殺さないように、7日には犯罪者に対する刑罰を行わないことになっていました。
発祥や種類には諸説あるが、現在の7種類は鎌倉時代に書かれた『河海抄(かかいしょう)』の中にある「芹(せり)、なづな、御行(ごぎょう)、はくべら、仏座(ほとけのざ)、すずな、すずしろ、これぞ七種」(作者不明)という歌が由来とされている。
【七種菜羹】 しちしゅさいこう 七種類の野菜の汁物を表わす四字熟語です。「七草粥」または「七種粥」のことです。 中国で1月7日のことを「人日(ジンジツ)」と呼んで、その年の運勢を占っていました。同時に、七種類の野菜の羹(あつもの:スープ)を食べて無病を祈る風習もありました。これが「七種菜羹(しちしゅさいこう)」の始まりでした。 「七種菜羹」の「羹」は羊の肉を入れた吸い物を表した字です。「羊羹(ようかん)」の「羹」に使われています。昔、羊は大変な御馳走でした。羊の肝に似せた小豆と砂糖で作る蒸し餠を「羊肝餠」といい、日本に伝わった時、「肝」と「羹」の音が似ていたことから、混同されて「羊羹」となりました。最初は「蒸し羊羹」でした。茶道が盛んになるにつれて、寒天を加えた「練り羊羹」が作られるようになりました。安土桃山時代のことだそうです。 |
7日の人の日には邪気を祓うために、七草の入った粥を食べ、一年の無事を祈ったのだともいわれています。日本でもその歴史は古く、延暦23(804)年の「天皇神宮歴史帳」にその記録が残っています。 平安時代には春の七草は「若菜」とか「春の草」と呼ばれていました。当時七草粥は「七種粥」、つまり七種の穀物で作られたという説もあります。入っていたものは「米、粟、きび、ひえ、みの、胡麻、小豆」で、現在、七草として知られている「せり、なずな、ごきょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ」が使われるようになったのは鎌倉時代になってからのようです。 古来、宮中や神社でもこの日七種の野草を摘む行事を「若菜摘み」といい、これらが入った粥を食べると、邪気が払われ万病が除かれると信じられていました。「君がため 春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪はふりつつ」 これは、百人一首でおなじみの光孝天皇の歌ですが、平安時代の光景が詠まれたものです。 |
子の日の御遊び 若菜は初春の若返りの植物であり、古くは正月初子(はつね)の〈子の日の御遊び〉に小松引きや若菜つみを行い、それらを羹(あつもの)にして食べたりしたが、のちに人日(じんじつ)(正月7日)に作られるようになった。 もとは正月15日に七種の粥といって、7種の穀物(米、アワ、ヒエ、キビ、アズキ、ゴマ、葟子(みの))で作った粥を供御とする風があり、これと子の日の若菜とが結びついて七草粥となったとされ、一方、望(もち)の日の七種粥は小豆粥になった。 しかし、七種や若菜の行事は、宮廷の公式儀式としてよりも後宮の行事で、儀式化されるのは室町以後のことであり、江戸時代には五節供の一つとして公式に定められた。 ただし、七草の種類は、時代や地域によって異なり、雪国では七草粥といっても栗、串柿、ニンジン、ゴボウ、大根、タラの芽など正月の喰積みの食品を用いる。単にナズナやアブラナだけを入れる地方もある。 |
七草粥を食べる理由については諸説ありますが、もともとは邪気払いや無病息災、五穀豊穣の祈りを捧げる意味がありました。最近では、お正月のおせち料理に疲れた胃を休めるために食べるという人もいます。
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倉内 佐知子
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(後略)
師匠から絵手紙が届きました。
今回は「べこ餅」を描いてきました。
師匠は、お餅、赤飯、北海シマエビ、旨煮にお菓子まで食べてお腹がギューギューだそうです。
師匠! 暮れには体重の心配をしていましたが大丈夫なんですか。食べ過ぎは体に悪いですから気を付けてください。
師匠は前回私が出した花魁の絵手紙のキセルを見て、学生時代に電車賃のキセルをしていたことを思い出したそうです。
ところで、「べこ餅」と聞いても、北海道以外の人にはわかりませんね。
べこ餅 北海道 北海道民に昔から親しまれてきた「べこ餅」は、主に白と黒の2色が配された木の葉形の模様が特徴的な郷土菓子。北海道では端午の節句の際によく食べられている。青森県にも材料は同じだが、形や模様が異なる「べこ餅」という名の郷土菓子が存在する。 白と黒の2色、木の葉形が「べこ餅」の定番ではあるが、いまでは道南地域を中心にさまざまな色やかたちの「べこ餅」がある。黒糖だけを黒単色の「べこ餅」や人工着色で彩色された色あざやかな「べこ餅」、よもぎを混ぜた緑色の「べこ餅」など。かたちも木の葉形ではなく、花形、丸形などの「べこ餅」も存在する。 発祥については諸説ある。山形県の郷土菓子の「くじら餅」が、北海道で独自に進化して、独特の木の葉型になったといわれている説があるが、定かではない。現在も道南地域の一部では「べこ餅」を「くじら餅」と呼んでいる地域がある。 名前の由来も、白と黒の配色がホルスタインの色を連想させることから牛を意味する“べこ”を用いたという説、黒糖を混ぜた部分が“べっこう”の色合いに近いことから“べっこう餅”となったという説、”米粉(べいこ)”と砂糖を主な原材料としてつくっていたことから“べいこ餅”と呼ばれていた説など、諸説ある。 道南地域を中心に主に5月の端午の節句の際に食べられることが多い。他にも正月や彼岸、冠婚葬祭などハレの日の際にも食べられる。以前は、「べこ餅」をつくる木型を持っている家庭も多く、手づくりしていた。 いまではスーパーマーケットなどで1年を通して販売されていることから、ハレの日以外にも食べられる。子どもにも人気の郷土菓子である。 上新粉と砂糖を混ぜ合わせた生地のかたちを整え、蒸してつくる。白色の生地は白砂糖、黒色の生地は黒砂糖を混ぜ合わせてつくる。よもぎを入れて緑色の生地をつくる場合もある。 一般的な「べこ餅」は木型を使い木の葉形につくられるが、木型を使わずに木の葉形をつくったり、花形に整えたりと、家庭や店舗によってさまざま。多くつくりすぎたときは、冷凍庫で保存すれば日持ちする。 もっちりとした柔らかい食感とほどよい甘さが美味しく、子どもだけでなく、大人からも懐かしい味として親しまれている。 |
青森の「べこ餅」は下記を参照してください↓
師匠! 今回は「甘い物」ですね。
私は「栗きんとん」を描きます。
これは、娘が毎年つくるものです。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。
全種類1セット120円
「花魁でありんす~ 日本語版」24種類
「キタキツネ物語」8種類
「ワンコ親父」8種類
「ワン子さん」8種類
「頑固おやじが怒ってる」8種類
「ばあちゃんの教え」8種類
「だるまさんが口論だ」16種類
随時追加予定あり!
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minimarche
ハーブティーは下記のお店「雑貨(Tkuru&Nagomu)で取り扱っています
雑貨(Tukuru ・nagomu)
0155-67-5988
食べログでメニュ―が見られます↓
Chef's dish Noix シェフズ ディッシュ ノワ
(【旧店名】Cafe&Bar Noix)
詩集「涅槃歌」
倉内 佐知子
私の一押しの詩集を紹介します。現代女性詩人のトップクラスの詩を感じてください。魂が揺さぶられます。これは倉内佐知子の入門としては最適な詩集です。一度読んでみて下さい。
〈溶ける魚〉が背を這いずり、異国の香りが鼻腔を抉る、無頼の詩語は異界をたゆたい、イデア(idea)の入り口を探る——「幼年の濃い光の中で 時間の臓器は待っている」(本文より)心地よいリフレインが幻惑の世界へと誘う「音更日記」、言葉の配置と表現形式にこだわった「光る雪」、グロテスクな言葉の暴力で異質な世界を構築した「青」など計18篇を収録した、小熊秀雄賞受賞詩人の詩集。言葉が持つ魔術的な美を、無意識の泉から掬い上げた、幻想的かつ根源的な一冊。
海鳩
―潮騒が希望だったー
ぐしゃぐしゃに砕かれた大顎の破片が散乱し
ているのは知っていたがここのものではない
さんざん悪質を通過しなお何ものとも繋がら
ない兵器的非感覚の海を死生の循環の内へと
流し込むなど可能かぶふぅィ暫し棘状の海塚
にうずくまりわたしたち固有の肉体がはぜる
記憶のふあんに堪える堪えて噛む海鳩が翔ぶ
〈母ァさん 母ァさん〉
あなたさえ答えようもないのです
(後略)
は本来、その年の「豊穣(ほうじょう)」を司る「歳神様(としがみさま)」をお迎えする行事であり、1月の別名です。
現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼びます。地方によっては1月20日を二十日正月(骨正月)と呼びます。
■意味・目的歳神様を迎える日
正月は家に歳神様をお迎えし、祝う行事です。歳神とは1年の初めにやってきて、その年の作物が豊かに実るように、また、家族みんなが元気で暮らせる約束をしてくれる神様です。正月に「門松(かどまつ)」や「しめ飾り」、「鏡餅」を飾ったりするのは、すべて歳神様を心から歓迎するための準備です。
そもそも、私たちの祖先は"全てのモノには命がありなんらかの意味がある"という「アニミズム」を信仰しており、作物の「生命(いなだま)」と人間の「生命(たま)」は1つのものであると考えていました。そのため、人間が死ぬとその魂はこの世とは別の世界に行き、ある一定の期間が過ぎると個人の区別が無くなり「祖霊」という大きな集団、いわゆる「ご先祖様」になると信じられていました。
この祖霊が春になると「田の神」に、秋が終わると山へ帰って「山の神」に、そして正月には「歳神」になって子孫の繁栄を見守ってくれているのだと言います。
■起源・歴史最古の年中行事
正月は、日本の行事の中で最も古くから存在するものだと言われています。しかし、その起源はまだ詳しく分かっていません。仏教が伝来した6世紀半ば以前より正月は存在していたと言われています。「お盆」の半年後にやってくる正月は、本来お盆と同じく「先祖をお祀りする行事」でした。しかし、仏教が浸透しその影響が強くなるにつれて、お盆は仏教行事の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と融合して先祖供養の行事となり、正月は歳神を迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」としてはっきり区別されるようになったと考えられています。
また、現在のようなお正月の行事(門松やしめ飾り、鏡餅などを飾ること)が浸透したのは、江戸時代に入り庶民にも手軽に物品が手に入るようになってからのようです。
■行事霊に対する祝福の言葉
1年の始めである正月は春の始まり、すなわち「立春」とも考えられており、人々は春の訪れがもたらす生命の誕生を心から喜びました。「めでたい(芽出度い)」という言葉は「新しい春を迎え芽が出る」という意味があります。
また新年に言う「明けましておめでとうございます」という言葉は、実は年(旧年)が明け歳神様を迎える際の祝福の言葉でした。つまり、神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から歳神様を迎えたことを喜びあったということです。
したっけ。
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詩集「涅槃歌」
倉内 佐知子
私の一押しの詩集を紹介します。現代女性詩人のトップクラスの詩を感じてください。魂が揺さぶられます。これは倉内佐知子の入門としては最適な詩集です。一度読んでみて下さい。
〈溶ける魚〉が背を這いずり、異国の香りが鼻腔を抉る、無頼の詩語は異界をたゆたい、イデア(idea)の入り口を探る——「幼年の濃い光の中で 時間の臓器は待っている」(本文より)心地よいリフレインが幻惑の世界へと誘う「音更日記」、言葉の配置と表現形式にこだわった「光る雪」、グロテスクな言葉の暴力で異質な世界を構築した「青」など計18篇を収録した、小熊秀雄賞受賞詩人の詩集。言葉が持つ魔術的な美を、無意識の泉から掬い上げた、幻想的かつ根源的な一冊。
海鳩
―潮騒が希望だったー
ぐしゃぐしゃに砕かれた大顎の破片が散乱し
ているのは知っていたがここのものではない
さんざん悪質を通過しなお何ものとも繋がら
ない兵器的非感覚の海を死生の循環の内へと
流し込むなど可能かぶふぅィ暫し棘状の海塚
にうずくまりわたしたち固有の肉体がはぜる
記憶のふあんに堪える堪えて噛む海鳩が翔ぶ
〈母ァさん 母ァさん〉
あなたさえ答えようもないのです
(後略)
師匠から絵手紙が届きました。
今回は「猫」を描いてきました。
師匠のところも、いつも通りのメンバーのお正月だそうです。
お孫さんたちも来ないようです。
師匠! 私のところもそうですよ。新年会は中止です。
師匠は、唾を飛ばしながら話したり、密着できて合えたりする自由な日常が戻ると、本当にいいと書いてきました。
そうですね。私たちが当たり前だと思っていた日常が、今は当たり前でないですからね。
注連縄(しめなわ)は、神道における神祭具で、糸の字の象形を成す紙垂(しで)をつけた縄。神聖な区域とその外とを区分するための標(しめ)である。注連縄の形式によっては縄の下に七本、五本、三本の藁を垂らす。以上の理由から、標縄、〆縄、七五三縄などとも表記する。 古事記では天照大神が天岩戸から出た際に二度と天岩戸に入れないよう岩戸に注連縄を張ったとされている。刈り取った新しい稲わらや茅(かや)を使って作られ蘇民将来の話とも関連が深い風習である。 Wikipedia |
七五三縄 左捻りを定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂を下げる。輪じめ(輪飾り)は、これを結んだ形である。 世界宗教用語大事典 |
師匠! 今回は「新年第一便」ですね。
師匠が「猫」なら、私は「花魁」を描きます。(何の関連もないですが…)
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。
おおばん-ぶるまい【大盤振舞】 盛大にごちそうしたり、気前よく物を与えたりすること。▽「大盤」は、高貴の人の家などで食べ物を入れた器を載せる台の意。もとは「椀飯振舞おうばんぶるまい」と書き、「椀飯」は椀わんに盛った飯をすすめる意。また、王朝時代には宮中で供せられる膳ぜん、江戸時代ごろには民家で正月に親戚しんせきなどを招いて、宴会を催すことをいった。「大盤」はこの「椀飯」の字から転じて、慣用化したものとされる。 三省堂 新明解四字熟語辞典 |
人に金品や食事などを気前よく振る舞う際に用いられる表現です。
「今日は給料日だったので、家族をレストランへ連れて行き大盤振る舞いをした」のように、盛大にもてなすという意味も含んでいます。
とは言っても、今年はこんなこともできませんでした。
この表現の語源をたどると、平安時代までさかのぼります。
当時「大盤振る舞い」は「椀飯振舞(おうばんぶるまい)」と表記されていました。
「椀飯」とは、平安時代の宮中行事の際に振る舞われていたとされる、「わんばん」と呼ばれるお椀に高く盛り付けられたご飯のこと。「わんばん」がやがて「わうばん」と変化し、さらに後に「おうばん」と呼ばれるようになったそうです。
椀飯(読み)おうばん もとは食器に盛った飯の意。供応のため設けた食膳,さらに供応それ自体をもさす。公家では年始,吉事などの際,朝臣に供応を命じた。鎌倉,室町幕府も,正月恒例の行事として有力な幕臣に供応の役を課した。江戸時代には,民間でも正月の祝いに一家親族を供応することを椀飯といった。 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 |
平安時代当時の宮中では、山盛りの飯・椀飯だけではなく肴やお菓子、お酒なども盛大に振る舞われていたそう。
鎌倉時代以後、武士社会では饗応の宴を椀飯(おうばん)と呼んだ。
そして、年頭に主君など目上の人物を招いて行った節振舞を「椀飯振舞(おうばんぶるまい)」と呼んだそうだ。
そしてこの風習は、江戸時代になると庶民にまで広まります。
江戸時代の「椀飯振舞」は平安時代とは異なり、庶民が正月に親戚縁者を集めてごちそうを振る舞う、豪勢な酒盛りを意味するようになりました。
この時のごちそうが大皿に盛られていたこと、または「椀飯」と「大盤」が混同されたという理由から「大盤」の字が当てられ、「大盤振る舞い」の表記が一般的になったそうです。
今年のお正月は、親戚が一堂に会しての大盤振る舞いができません。
来年は、実現したいものです。
今年始まったばかりなのに、もう来年の話です。コロナ憎しです。
したっけ。
師匠から年賀状が届きました。
今回は「牛」を描いてきました。
牛の足の模様が「うし」になっています。
背中にはカタツムリがのっています。カタツムリも「蝸牛」という牛ですからね。
蝸牛角上 かぎゅう-かくじょう 取るに足らない小さな争いのたとえ。 「角」はかたつむりの角のこと。 かたつむりの角のように小さく、左右にある国同士が小さな領土を奪い合う争いをしたという故事から。 「蝸牛角上の争い」を略した言葉。 オンライン四字熟語辞典 |
師匠! 今回は「牛」ですね。
師匠が「牛」なら、私も「牛」を描きます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
国指定重要無形民俗文化財 越後山古志 牛の角突き 長岡市山古志の「牛の角突き」の歴史は古く、千年前とも言われています。足腰が強く、寒さや粗食に耐える牛は、昔から運搬や農耕に貴重な働き手でした。飼い主との密接な関係の中で「牛の角突き」は山古志の人々の娯楽として根付いていきました。 海外や国内数か所にそれぞれ独自の闘牛文化が残っていますが、越後の「牛の角突き」は牛が傷つかないように引き分けにするのが特徴です。 勢子と呼ばれる男たちが、激しくぶつかり合う牛の間に分け入って牛を取り押さえる様子も見ごたえがあります。 角を突き合わせ、激しくせめぎ会う2頭の牛。手に汗握る勇壮な戦い。千年の歴史を受け継いだ郷土の誇りをお楽しみください。 また、山古志闘牛場内には山古志と牛の歴史を紹介するメモリアルギャラリーも展示。闘牛大会開催日以外はご自由に見学できます。 |
赤い牛は「コロナ」、青い牛は「医療従事者」です。
互いに必死に戦っていますが、青い牛がやや優勢です。このまま、赤い押しを抑え込んでほしいという願いを込めました。
「一富士二鷹三茄子の由来」について考える
みなさん、初夢は見ましたか?
ちなみに初夢とは、現在のカレンダーで1日の夜から2日の朝にかけて見る夢のことです。
初夢といえば「一富士二鷹三茄子」です。
「一富士二鷹三茄子」のことわざは江戸時代初期にはすでにあり、江戸時代中期の旅行家・百井塘雨(ももい とうう)の紀行『笈埃随筆(きゅうあいずいひつ)』、江戸時代の国語辞書『俚言集覧(りげんしゅうらん)』、喜多村信節(きたむら のぶよ)の随筆で、江戸時代後期の風俗の百科事典とも言われる『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』、江戸時代後期、平戸藩主・松浦静山 (まつら せいざん) の随筆『甲子夜話(かっしやわ)』などの文献に記載されています。
由来は諸説あり、徳川将軍家に縁の深い駿河国(するがのくに、現在の静岡県中部)と結び付けた説が多いのが特徴です。
■駿河国の名物を順に挙げたとする説
最も有力なのが、駿河国の名物を並べたという説。
徳川家康(とくがわ いえやす)が隠居後の居城としていたのが、駿河国にあった駿府城(すんぷじょう)。日本一の富士山、富士山麓に棲む鷹は鷹の中でも最高の種、駿河国で生産される茄子も逸品であることから、優れたものの象徴として三つを並べたというものです。
■駿河国で高い物を順に挙げたとする説
徳川家康が駿府城にいた際、初茄子の値段がとても高かったため、「ます一に高きは富士なり、その次は愛鷹山(あしたかやま)なり、その次は初茄子」と言い、そこから「一富士二鷹三茄子」という言い回しがされるようになった、という説もあります。
■縁起の良い物を順に挙げたとする説
富士は高く大きく、鷹はつかみ取る、茄子は「成す」の意味で、縁起のよい物を順に挙げたとする説もあります。
また、富士は「不死」に通じるので不老長寿を、鷹は「高・貴(たか)」と訓が共通するので出世栄達を、茄子は実がよくなるので子孫繁栄を意味するとした説もあります。
■徳川家康の好物を並べたとする説
江戸幕府を開いた徳川家康は、風景では富士山が、趣味では鷹狩りが、食べ物では茄子がことのほか好きだったとか。その三つを初夢に見ると、天下を取った家康にあやかれるというわけです。
室町時代ごろから、良い夢を見るには、七福神の乗っている宝船の絵に「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)」という回文の歌を書いたものを枕の下に入れて眠ると良いとされています。
これでも悪い夢を見た時は、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しをするとよいそうです。
したっけ。