東都歳時記 斎藤月岑著 江戸末期の絵入り年中行事記
1月19日と10月19日
今夜、大伝馬町1丁目、2丁目、通旅篭町(とおりはたご)の往還に恵比寿講の市が立つ。商家恵比寿講の設けとて、魚類、蔬菜、恵比寿大黒の像、小宮諸器物を売る。
大伝馬町1丁目、2丁目は木綿(もめん)問屋が多くして木綿店と呼ばれていた。二丁目は正月十日に魚市を開けていたので肴店の称があった。
恵比寿講の市は一丁目から緑橋に至る道路に立った。「遊暦雑記」四編に「東武伝馬町恵比寿市というは、毎年正月19日、10月19日なり。その日天気よければ、朝より始まり、夜 子の刻に至りて終わる。即ち本町3丁目のこなたより,下は大伝馬町大丸屋に至るまで。両側の軒下によろずの商人、尺地もなく,居並び、声を張り上げて人に呼びかけ、競い商ふ様は浅草観音の市をほうふつたり。正月より十月ことに賑わしく、店下に居並ぶ商人の長さはおおよそ5~6丁,夜は益々盛んにして広き往還にもろもろの魚、たくさんなりしかも,買人の少なかりけん。日本橋本船町、安針町、小田原町等の魚問屋とも肴おびただしく持て余したるを、各々申し合わせ伝馬町へ打ち出だし、相手次第にひさぎしが例となり、毎年正月、10月市場と成りたるより。云々と賑わいの状を記している。
恵比寿講
江戸における恵比寿講は享保(1716-36)以後に起こったらしく,明治には正月の恵比寿講はすたれ10月が賑わった。
日本橋本船町、安針町、小田原町の魚問屋とは日本橋魚河岸の商人のこと。
大伝馬町大丸屋は東京駅にある大丸百貨店の前身の店・現在の中央区日本橋大伝馬町10付近
東都歳時記では恵比寿講の市で浅漬大根の話は出ていない。
1月19日と10月19日
今夜、大伝馬町1丁目、2丁目、通旅篭町(とおりはたご)の往還に恵比寿講の市が立つ。商家恵比寿講の設けとて、魚類、蔬菜、恵比寿大黒の像、小宮諸器物を売る。
大伝馬町1丁目、2丁目は木綿(もめん)問屋が多くして木綿店と呼ばれていた。二丁目は正月十日に魚市を開けていたので肴店の称があった。
恵比寿講の市は一丁目から緑橋に至る道路に立った。「遊暦雑記」四編に「東武伝馬町恵比寿市というは、毎年正月19日、10月19日なり。その日天気よければ、朝より始まり、夜 子の刻に至りて終わる。即ち本町3丁目のこなたより,下は大伝馬町大丸屋に至るまで。両側の軒下によろずの商人、尺地もなく,居並び、声を張り上げて人に呼びかけ、競い商ふ様は浅草観音の市をほうふつたり。正月より十月ことに賑わしく、店下に居並ぶ商人の長さはおおよそ5~6丁,夜は益々盛んにして広き往還にもろもろの魚、たくさんなりしかも,買人の少なかりけん。日本橋本船町、安針町、小田原町等の魚問屋とも肴おびただしく持て余したるを、各々申し合わせ伝馬町へ打ち出だし、相手次第にひさぎしが例となり、毎年正月、10月市場と成りたるより。云々と賑わいの状を記している。
恵比寿講
江戸における恵比寿講は享保(1716-36)以後に起こったらしく,明治には正月の恵比寿講はすたれ10月が賑わった。
日本橋本船町、安針町、小田原町の魚問屋とは日本橋魚河岸の商人のこと。
大伝馬町大丸屋は東京駅にある大丸百貨店の前身の店・現在の中央区日本橋大伝馬町10付近
東都歳時記では恵比寿講の市で浅漬大根の話は出ていない。