年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

へしこ

2010年10月15日 | タクワン

福井県若狭地方の伝統食に「へしこ」という名の食べ物がある。へしことは魚の糠漬けのことで、その語源は、重石をかけて漬け込む「圧し込む(へしこむ)」という言葉がなまったからといわれている。
 北陸地方ではその昔、魚の腐敗を防ぎ、長期保存するための糠を使った保存食として作られていた。その歴史は長く、江戸時代の中ごろにはすでにへしこ作りが始まっていたといわれている。最も有名で生産量も多いのが鯖のへしこである。糠が江戸時代以前からあるにも関わらず、江戸時代中頃以後の歴史となるのは米糠の歴史が関わって来る。つまり米糠が保存食に利用されるようになってきたのは江戸時代中期以後の話となる。
 沢庵漬も沢庵禅師の創作ではないが沢庵が活躍していた時代に普及した。米糠が比較的早くから手に入った地域で活躍していたからと思われる。戦国時代は米はモミの形で流通していたようで食する寸前に精米し、その時発生する米糠も汁の増量剤として食べていたようである。またおいしくない米糠は主に肥料として使われていたようである。応仁の乱の前後に、日本に台カンナという道具が大陸から渡来した。この道具によって、大きな樽が製造する事ができた。この事が酒造の発展を招き、精米が増え、米糠の発生が増えた。ウルチ米の系統の米糠は漬物に適していて、様々な糠を利用した漬物が江戸時代に現れたのはこの様な歴史の背景がある。
 またモチ米由来の糠は漬物に適さなかったこともある。この考えからみると戦国時代以前には日本で栽培されている米が厳密にウルチ米と餅米とが分けて栽培されていなかったと思われる。この種の文献はまだない。
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