数年前、べったら市の歴史を調べるため、横浜の開港資料館に通って新聞を読んでいたことがあった。その時白蓮事件の報道があってただ記事を眺めていた。当時の報道合戦は今のスポ-ツ新聞の報道以上激しく、個人の人権など無視していて、実名実住所報道が許されていたようだ。ただそれは反論がないということが前提で時にはねつ造、推測記事が横行していてシバシバ訂正記事が後日掲載されていた。今でも当時でも訂正記事の大きさは最初の記事より小さい。
柳原百蓮は一般に皇室と関連あるように経歴が書かれているが福神漬での資料調査ではアメリカとの条約批准の使節の代表新見正興の孫であった。目付が小栗忠順でアメリカ土産として長井昌言がワッフルの菓子焼き器を小栗から貰ったという。柳原家には養女として入籍した。
明治期、旧幕臣と関係ある人たちは経歴を語ることが避けていた様な気がする。