5月3日に慰霊祭に参加する。先送りしていたので築地のことが終わり、豊洲も終わりになったら先送りは止めようと思っていた。どうせ健康寿命的には後数年かもしれない。いけるときに行かないとふと思った。それは昭和30年末に死去した父の謎解きの話となる。母に話した父の話として聞いている特攻で死んだ叔父の話である。何を子供たちに伝えようとしていたのだろうか。その当時は犬死論が多かったようだ。世間の論調と違って父は父なりに実弟の死についいて何か言いたかったこともあったのだろう。薄々感じていたが深く考えると生活が遅滞するのでまた先送りしていた。人生の時間も少なくなり遅滞しても誰にも迷惑をかけないようになったきた。調べて記録を残すようにあの世から言われている気がする。
学徒出陣の本を読んで当時の状況は少しわかったきた。どうして死を予定する陸軍特別操縦見習士官へ応募したのだろうか。全国で陸軍は1万人、海軍は5万人と言う。陸軍の一期合格者は1800名であった。そのうち特攻で死んだ特操1期生は300名以上であった。靖国神社の遊就館に特操1期生の像があり、台座の下にある名簿に名前があり、特攻で死去した印があった。
記録によると5名が台湾から沖縄嘉手納沖の米軍艦隊に特攻したのだが誘導した飛行機に搭乗したパイロット1名も帰還しなかった。この人は特攻の記録に残っていない。何か不可解。