昭和20年2月17日(大安)父(当時36歳)の弟(当時22歳)が多分茨城の基地から南方へ飛び立った。一式戦闘機で訓練と飛行機の受け取りで19年末に日本に帰っていた。父と弟が横須賀の海軍基地で面会したのは2月1日に入隊したあと2月16日までのごく短い期間だったの一日と思われる。父自身が徴兵されるとは思っていなかったが実際周囲の状況から弟との面会が最後の別れという感じだったと思われる。戦闘機乗りの少尉と言うことで横須賀で新兵いじめにあっていた父は年若い陸軍少尉が面会に来ていたことから新兵いじめが緩和されたという。
結局この横須賀での面会が最後の別れとなった。2月17日に茨城の基地を飛び立った戦闘機は埼玉県北葛飾郡川辺村の上空を旋回し、南方へ向かったという。川辺村の小学校で学んでいた親族が何事かと思って上空を見上げていたという。弟は故郷の記憶を残すため上空を旋回し戦地に向かった。
弟は大正13年生まれなので関東大震災の後に生まれた。