父の海軍への召集令状が来たのは戦争も末期になっていた昭和20年1月だった。軍歴を取り寄せると2月1日に横須賀の海軍へ入隊したことになっている。横須賀での軍隊生活はもっぱら基地へ物資を運搬するトラックの整備だった。35才位で召集となったのは最初の徴兵検査で偏平足で不合格だった。このことから行軍が少ない無い海軍となったかもしれない。
断片的な父の記憶は全て母より聞いた話しですべては昭和30年末に死去したため父より直接聞いたことではなく、断片的に伝わる話が少年時の記憶と青年になって知った戦争の記録と合成され今に思い出と残る。どこに真実があるかどうか解らないが記憶の再構築を今からしてみたいと思う。
今は戦争も終わって70年経って過去の様子の記憶も直接経験した人も年寄りとなり、間接的に聞いた人が今記録を残す。昭和の20年は本当に戦争だらけであった。戦時と次の戦争の準備だった時間かもしれない。今も表向きには日本は平和かもしれないが次の戦争のための休みとなっているかは判らない。島原の乱以降、割りと平穏だったがペリ-が着てから内乱が続き、その明治の内乱を消息させる意図から国民の目を外地に求めた。そして昭和20年8月で一応終わった。
社会の傾向に個人はどう対応したか記録に残さないといけない気がする。