戯作 契情買虎之巻 田にし金魚著 安永7年(1778)国会図書館デジタルライブラリで読むことができる。
江戸後期の洒落本作者。江戸神田の町医師鈴木位庵と伝える洒落本作家。この戯作が売れ、後に人情本への道を開いた作品。この戯作で親が病気のためと称し、兄が妹を吉原の遊郭に売りに来る。そこで遊郭で働くことを鑑定する仕事人(女衒)が娘を判定することになり、ナタマメ・カラタチの気遣いなしと判定している。このことはナタマメ等を食べさせ癲癇の有る無しの判定をしていたようだ。今ではテンカンの医学的判定ではナタマメを食した程度では判定はできない。明治になって江戸時代の本草学が衰退し、漢方の知識も少なくなった。西洋の医学でも薬草としてのナタマメの効能は不明である。また博物学者と知られている平賀源内の(神霊矢口渡)でもナタマメを食させてテンカンの有無を判定する場面があった。このことは江戸時代から明治の西洋医学が一般化されるまでナタマメ信仰が持続されていて、明治のなっても生き残っていた戯作者の常識となっていたと考えられる。女流作家の佐多稲子の(私の東京地図)で彼女が務めていた上野不忍池の料理屋(清凌亭)の女主人から池之端の酒悦への買い物を依頼された。酒悦店頭で女主人から依頼された福神漬の入れていけない材料を忘れた。店の奥に入り材料を眺めているうちに思い出し、その入れてはいけない物がナタマメであった。佐多稲子は知らなかったようだが下谷の料亭の女主人はナタマメの言い伝えを知っていたと思われる。
今はナタマメが江戸時代に言い伝えとして癲癇の判定で使用したいたことを知る人はいない。