もう13年もたってしまったのか福岡の飲酒運転事故。当時築地市場でたらたらと築地市場の移転問題の会議の傍聴をしていた。この会議も13年前の以前から続いている会議でなかなか進まず時間の区切りをつけたい東京都となんとか有利な条件を引き出したい青果側との果てしないやり取りが続いていた。細かな業務のことは東京都側が知らないので、法と前例にかかわることがあるとすぐに次回となって予定していた2時間が終わってしまった記憶が残っている。
もめていたのは物流とか温度管理とかはもう少し後で今から思い出すがなぜか13年前の記憶が薄い。
13年前、2016年のオリンピック開催地に日本では福岡と東京が立候補していた。大方の予想では東京一局集中を懸念していて、まえ評判では僅差で福岡の勝ちと予想されていた。ところが8月25日夜の福岡市職員の飲酒運転事故で子供が3人水死し、福岡は最後の国内運動を中断しなければならなかった。その間隙をついて東京都が努力し、僅差で2016の日本の開催地となった。この国内予選が勝利した後、築地市場の移転会議の真剣さの変化は今でも思い出す。不定期だった会議も毎月の定例となり、次々と施設設計に関する事項が進んだ。
結局2016はリオに招致が負けたが、何とか築地市場を動かしたい東京都がオリンピックという御旗があれば難癖をつける築地市場の人たちが動くということを知られてしまった。
結果は小池知事の登場でも築地再建設はできず、豊洲断念もできず、ただ先送りで豊洲へ行った。あの2年は何だったのだろうか。今でも豊洲の地下の汚染は残っているが誰も食材の汚染追及する人もなく、あれほど日本に厳しい韓国政府も福島があっても、豊洲に言及することもなく今に至る。