年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

行徳のむくどり

2019年08月19日 | 福神漬

市川市の歴史博物館へ外環道が開通して初めて行きました。以前はカ-ナビで苦労したところですが、割と時間のかからないところになった。天保の改革で株仲間が禁止され、嘉永4年株仲間が再興されても、塩の関東での流通が乱れていた。この歴史を調べている年報がある。市川市図書館郷土資料室で調べた年報をもらった。丁度夏休みの期間で混んでいると想像していたが朝早かったため空いていた。

 明治の初めに徳川政権が江戸から退去した時、江戸市中の塩取引の統制が壊れた。行徳から小名木川で塩のぼてふり行商人が大挙して塩販売をするため江戸に入っていた。このことが文献で(行徳のむくどり)と記載されていた。いまこの言葉を検索すると本当のむくどり集団が行徳の木々に群がることがあるようだ。天秤棒の両端にざるに入れた塩を行徳ブランド(当時は高級品の塩)で行商をしていたようだ。

 

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