家人から不要不急の図書館通いを疑いの目で見られても、犬の散歩と同じで、自宅軟禁はストレスがたまる。経費節減ということでできるだけJR代は節約ということで、行きは新橋から、帰りは御徒町で都営に乗り換える。やはり夕方はマスク姿が多い。バスの老人が減ったようだ。
蕨市図書館の郷土資料の所で河鍋暁斎研究誌(暁斎)を読む。暁斎の孫である館長の努力が無ければ今日本全国で開催されている暁斎の画家としての名声は無かったと思われる。
江戸末期の大混乱の時代を経て、明治の中で江戸の意識を持ちつつ、一流の西洋人と交際し、それに染まることなく、歴史に残る。そのような人と瓜生政和(梅亭金駕)がどのような結びつきがあったのだろうか。
暁斎の研究誌の文献では一番信用のある暁斎の評伝は飯島虚心で瓜生政和の暁斎画談は評価が低い。さらに村松 梢風 の書いた暁斎の評伝は瓜生のものを元にしているようだ。飯島虚心の所でも、明治20年急に暁斎画伝が出てくる。はっきり画伝の意図とかはわからないようだ。この辺りは万亭応賀の交友からか竹林の賢人から調べる必要がある。