豊島園が消えそうな新聞記事を読んでいたら、練馬城址ということで、調べなければいけないことを思い出した。練馬区の石神井公園脇のふるさと館でたくわん漬を調べる。練馬区の小学校3年生の全員は地域の歴史を知るということで練馬大根が教材となっていた。
練馬郷土誌研究会会報の3号位までは練馬たくわんの記述が目立ったがそれ以降は少ない。かえって先生用の教材が練馬大根のことの歴史が簡潔で理解しやすい。文献の少ない漬物の歴史はかえって文献に頼っていて、記録が残る税とか贈答の記録で歴史を語る。漬物の基本は戦前まで自家製で記録で目立つのは塩・コメ等の購入で漬物を金を支払って購入することは殆どない。江戸では火事が頻繁にあったので、腐敗を防ぐ重しのため、火事の時自家製の沢庵を持ち出すこともできず八百屋で沢庵漬を購入していた記録が残っていたようだ。深川の江戸資料館で。
練馬のふるさと館で中世の練馬城の記録を見ると、西武鉄道が城を作らなかったのが理解できた。小さな武家屋敷で民家園と思っても不思議ではない。石神井川を利用した堀があったようだ。