今話題の映画 スラムダンクを観にいった。
映画館までの道で、多くの人とすれ違うがまだマスク姿が多い。自分自身は顎マスクで人が多い時とかバスと電車内ではほとんどマスク姿。この前の病院ではほぼ全員マスク。普通の風邪並みの扱いになってもマスクは離れない。自宅の出入り口にマスクが置いてある。傘並みのあつかい。
ふと思ったのだが、この3年のマスク慣れで、顔が陰部とか局部のような感覚になったのだろうか。子どもが裸で生まれ、親の都合でおむつをあてがわれ少年・少女になってゆく。そしてそれが自覚となり、隠すものになってゆく。
この3年の顔隠しで、顔はオムツかパンツのようにマスクで隠す。そうなると隠された顔を想像されるら、工夫が始まる。白いマスクが色つき絵付きなる。マスクの基本は使い捨て。昔のオムツは洗っていたが、今の紙おむつは使い捨て。
観られる意識がマスクの工夫となる。これから露出した顔のため、プールのような顔ブラのようなマスクが出てもおかしくはないと思って、映画の始まる前の暇な時考えていた。
THE FIRST SLAM DUNK という高校のバスケットボ-ルの映画は、日本・中国・韓国で観客動員が多いと評判で観に行く。原作の漫画を読んでいないので、映画の王道として事前にあらすじを調べることなく観ることにする。家に戻ってネット検索して理解したのだが原作を知っていた人は予想外の人が主人公で驚いたようだ。人数の多いドラマは色々な物語の切り口がある。個人でも人生の途中の見方は多くの解釈を生む。
THE FIRST SLAM DUNK なら中国の思想検閲もまだ通過する。