15年以上前に上野寛永寺の所にある、了翁禅師の碑を探したことがあった。しかし情報不足で見つからなかった。また調べ始めて、所在地を確認し、行くことにした。大江戸線上野御徒町駅で降りて、地図を眺めいたのが外国人観光客であった。だいぶマスク無しは増えたが日本人はまだ少ない。
道路の反対側にあるABABというビルが間も無く消える。古い人には上野のランドマ-クのようだ。耐震問題で壊すようだ。この頃街歩きしていると築50年ほどのビルが壊されている。多くの理由が耐震問題で、実際は古すぎてトイレとか光回線の設備問題で、賃料が安くても借り手が少なく、さらに安い賃料ではリフォ―ムが出来ないようだ。新橋付近の中小ビルは更地となって、コインパ-キングとなる。
上野鈴本演芸場は11時台で閉まっていて、隣の酒悦で福神漬を買おうと一瞬思ったが散歩の荷物になるので、次回は広尾の明治屋で購入しよう。ここで刀豆抜きの福神漬を買いに生かされた女流作家を思い出した。佐多稲子 上野の料亭で働いていた時、作家と知り合い作家となった。
上野山下から上野公園に入ったのだが、桜の季節でないので西郷さんの銅像の後ろの彰義隊の慰霊碑に向かう。義という文字が心に滲みる。150年ほど前に一日で終わった戦争があった。その後上野動物園の入り口前の小松宮騎馬像を見て、さらにその後ろのアメリカ南北戦争の英雄グランド将軍の御手植えの木を見る。130年は立っているので巨木となり朽ち始めたようだ。周囲は子供が多い地域なので気にしているというか、倒木時の言い訳のようにも見える。
上野公園の国立博物館へ向かう道に、高齢者が100人程度集まって立ち尽くしていた。見ると食事の無料配給のようだ。そのわきを通って、上野桜木1丁目に向かう。
途中に黒田記念館があって、入館自由・無料とあって覗く。閑散。中に入ってみると、画家の黒田清隆の遺産の保管庫だった。そいえば文化財指定になった湖畔と言う絵画の作者ということを思い出した。黒田記念館を出た後、隣の国際子ども図書館へ入る。まだ検温中。ここは入る前まで勘違いしていて大人は入れないと思っていたが中は大人だらけで子供は見かけない。今はスマホの方なのか。昭和前期の建物を修復し、新しいガラスで見せる建物となった。修復の仕方を学ぶ建物。この図書館の前身の明治期に樋口一葉が有料の図書室を利用していた。東京図書館という。台東区には多くの作家が住んでいたが一葉の短い人生なのに、台東区中央図書館には全台東区縁故の作家より、一葉の研究者が多いと感じる。暗い宇宙での超新星爆発で光る時間は短い。
子ども図書館を出て、上野桜木1丁目14番地に着く。ここに区立上野中学校があって、授業中で校庭で体操をしていた。外から見えるのだが隙間のある塀に張り紙があって、生徒の撮影禁止と日本語で書いてあった。ここにも盗撮懸念があるのだろうか。中学校の後ろを回り寛永寺の根本中堂に入り参拝する。境内の右手にやっと了翁禅師の像と碑が見つかった。ネットで見ていたので実物との差を感じる。碑文は汚れで読めないが記録で知っていた。付近に上野戦争の慰霊碑が建っていた。これも汚れで読めないがネットで知っていた。内容は別にして明治の時代では碑文に書けないこともあることを知っていて感慨もある。
要は上野戦争で亡くなった戦士の関係者が上野方の戦死の葬儀も許されなかったことを糾弾していた様だ。この辺りは日本の宗教観で死んだらノ-サイドという感覚から来ている。
村八分の二分は葬儀と火事という。
死んでお詫びをする。
寛永寺根本中堂を出て、国立博物館、科学博物館等を横目で見つつ上野駅まで歩く。前回来たときは上野駅の所に道路があって、駐車場に止めたことがあった。そこの道がきえていた。上野駅のバス停を探し歩いたが結局上野警察の先まで歩き、金町行きの都バスに乘り、本所吾妻橋駅で降りる。歩数1万歩。3時間。