年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

食文化の言い伝え

2023年05月04日 | 宅老のグチ
築地にいた時、日本経済新聞の取材を受けたことがある。その時の雑談で漬物業者を含め多くの老舗は商品の始まりを古めかしくしているという。
自分自身でも調べていると確かに京都の漬物業者の歴史は古い。しかし文献等を探ると今の盛業中の業者は戦後の発足が多い。江戸時代まで遡ると、京都の漬物業者はどれだけ残るのだろうか。文献上は寛政元年創業の田中長奈良漬店だがそれ以前の奈良漬や消えた。奈良漬は言葉のように奈良で生まれた清酒(僧房酒)の余剰の酒かす利用から始まります。従って初期の清酒からは自家用の奈良漬はあっても、贈答用になるまでは時間がかかったと推測されます。さらに江戸時初期に平和になったため大規模な河川改修によって、コメの生産が増え、余剰となった米で酒作りが盛んになったのです。
コメの精米によって出る糠もコメが豊富になった証拠で、糠味噌漬は江戸時代の漬物となります。
 漬物は太古の昔より自家製が基本で文献に出て来るのは、献上品のリストで出て来るだけです。江戸時代の武士の家計簿で漬物の贈答は皆無と言ってよい。
 明治に入って、漬物が自家製ということを許さない官庁、会社、寮などに野菜と共に納品されました。多くの京都以外の漬物業者は軍隊納の仕事から始まったと聞いてます。 
 昔は京と大阪は朝食にご飯と漬物とみそ汁の文化です。今は随分変わったようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする