年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

サミットの記憶

2023年05月22日 | 宅老のグチ
記憶の薄れが事件事故で蘇る。東京サミットの大平首相の時(1972・昭和48)の記憶がある。この時は築地でまだ働いて無くて、勤め始めての雑談で得意先の娘さんがサミットの各国の外交官をもてなすで準ミスで各国の人たちをもてなしていた。その時の大平首相との記念写真を見せてもらった。築地の人は基本的に商売でない時は適当に皮肉を言うが本当の実の娘とは思えないとほめていた。東京都の依頼でホステスをしたという。これを就職時の履歴書に書いて大手商社の受付に採用された。その後は社員と結婚したという。つまり顔採用という。終わりよければすべて良し。
 二回目の東京サミットの時は築地で働いていたので、中心部の交通規制で築地周辺の混雑が予想された。特に築地の年末渋滞はすさまじく、いつもラジオも交通情報で築地4丁目を頭として双方向に渋滞が伸びていて築地警察が警視庁まで渋滞が伸びることを気にしていた記憶がある。年末に機動隊が築地周辺に出動するのはいつから始まったかだれも聞いたことが無い。
 サミットが東京から他の地域に移りほっとした気分がある。日本の都市を巡回する姿はもう必要が無くなった国体のようなものに見えてきた。
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