福井マラソンの後、滞在ホテルの近くにある市立郷土博物館で「福井城と城下町のすがた」の企画展が開催されていると聞き、ふるさと福井の歴史を知る機会と思い、早速出かけて貴重な時を過ごしてきた。
福井城は、北ノ庄城と同じものと考えていたが、いろいろ諸説があるようで、北ノ庄城は柴田勝家が築城したもので、その後 結城秀康が改築したとされているそうで、その後に福井城(結城北ノ庄)と呼ばれていると聞く。
しかし、北ノ庄城跡は、柴田神社のところにも遺構が発掘されており、真のところは現在も判っていないようだ。
また、福井城や城下町の景観が、詳細に資料とともに展示されており、珍しい石造りの九十九橋の橋脚や武家屋敷の姿が非常に興味深いものであった。これまでは、興味はあったものの何となく聞きかじっていた程度でしたが、我が故郷の歴史を知る貴重な機会となった。
さらに、坂本竜馬ブームの中で、竜馬が福井藩の重要人物を訪ねて福井を訪れていたそうで、竜馬ゆかりの地とも言われていて、高知市と友好都市関係にもなっているそうです。
その歴史的遺跡を訪ねてみようと、博物館をあとにして 秋の風を感じながら福井城址を一回りして柴田神社・公園へとぶらりと散策してみました。
福井城址は、現在県庁本舎や県警本部があるが、本丸の石垣と内堀を残すのみが残っておりお濠と石垣から、その威容を偲ぶことができるが、過っての城下町の全容を思い描くことはできない。
内堀を一回りして正面の御本城橋から城内に入るが、この石垣と橋を望む景観は福井のベストショットであると思い、何度かスケッチを描いてきた好きなスポットである。
奥の天守台跡には、礎石が残っており広い場所ではなかったが、内堀を見下ろす素晴らしい景観が広がっていました。また、控天守台は、福井大震災で崩壊した状況のまま残されているが、その威容を偲ぶことができました。
そのすぐ脇には、「福井」の地名の源にもなっている「福の井」の古い井戸が残されており、案内板によると築城前から存在していたようだ。
しばし、天守閣跡の小さな公園からお濠を眺めて一休みのあと、山里口御門跡から御廊下橋を渡り、福井神社側に降りるとお堀では、ビオトープとして自然環境を保たれていました。
福井市役所前にも、発掘された城郭の石垣の一部が歩道に設置されていますが、正に石垣は福井のシンボル的存在であり、心の故郷である。
福井城址から「歴史のみち」を約10分歩いて、柴田北ノ庄跡と言われる柴田神社へ移動して柴田北ノ庄城跡を訪れた。
この地にも、多くの石垣や遺構が発見されており、貴重な史跡が残されており、柴田勝家やお市の方、三姉妹が合祀されており、訪れるファンは多いそうである。
もっとも関心のあった北ノ庄城は、今でもその城の範囲は定かではないようで、結城が改築したとされている結城北ノ庄城との判別は、今も不明な領域のようである。
約半日の歴史散歩であったが、福井の歴史にタイムスリップしての郷愁のひと時を過ごした。