隅田川テラス散歩で佃島から月島、勝鬨橋を経て話題の築地市場界隈を歩いてみました。
勝鬨橋の先には、築地大橋がほぼ完成しているようですが、豊洲市場の盛土騒ぎが発生して東京五輪の大動脈となる環状2号線で開通がいつになることやら心配ですね。
対岸には築地市場の岸壁とその先には東京タワーの姿が見られます。
隅田川テラスを引き返して勝鬨橋を望む光景も隅田川の絶景の一つですが、秋のうららの隅田川テラスのジョグを堪能していました。
勝鬨橋を渡り築地へと向かうと、今は開かない跳ね上げ橋ですが橋の中央には開閉時の継ぎ手が残されており、50年前まで開閉されていたシーンを何度も見ているので実に懐かしく思い出されます。
豊洲在住時には、勝鬨橋には都電も走っていたので銀座から都電で帰ってきたのも懐かしい想い出です。
国の重要文化財にも指定されている名橋となっているが、今は「開かずの勝鬨橋」とも言われているようです。
築地寄りの袂には、日露戦争での旅順陥落祝勝記念として、築地と月島を結ぶ「かちときのわたし」の記念碑が設置されたそうで、名前の由来にもなっているのです。
勝鬨橋から築地市場へ回り裏門前に鎮座する築地の鎮守様「波除神社」に参拝してきました。
波除神社は、災難除・厄除・商売繁盛の神様として築地には欠かせない神様となっており、本殿には一対の獅子頭が奉納されていました。
境内には見どころが多くありますが、右手の獅子殿には巨大な「厄除天井大獅子」が納められており、濃茶の肌に金の歯、髭、眉毛の様相です。
本殿の左手の弁財天社には大きな「お歯黒獅子」が納められており、紅色の肌に真っ黒の歯、金色の髭と眉の配色で雌の獅子だそうです。
その隣には、天照大神や大国主命、少彦名命、天日鷲命などを祀る末社や玉子塚が建てられていました。
他にも十二支の干支の石像やお狐様が並んでおり、パワースポットになっていました。
築地市場は、この日は休市場となってあの賑やかな光景は無く閑散としていました。
魚がし横丁をぶらりと回ると、以前には何度か通ったお寿司屋さんも外観は全く変わっていませんでしたが、豊洲移転ごはどうなるのでしょうか?
あの牛飯の吉野家の発祥のお店も変わっていませんでした。
築地場外市場も多くの店はお休みとなっており、日頃の賑わいは無く静かな光景となっていたが、豊洲移転後も現状のまま残るようで楽しみです。
移転前の築地市場雰囲気は確認できませんでしたが、移転後の街並はどのようになるのだろうかと思いつつ、築地から銀座へと足を延ばしました【続く】
勝鬨橋の先には、築地大橋がほぼ完成しているようですが、豊洲市場の盛土騒ぎが発生して東京五輪の大動脈となる環状2号線で開通がいつになることやら心配ですね。
対岸には築地市場の岸壁とその先には東京タワーの姿が見られます。
隅田川テラスを引き返して勝鬨橋を望む光景も隅田川の絶景の一つですが、秋のうららの隅田川テラスのジョグを堪能していました。
勝鬨橋を渡り築地へと向かうと、今は開かない跳ね上げ橋ですが橋の中央には開閉時の継ぎ手が残されており、50年前まで開閉されていたシーンを何度も見ているので実に懐かしく思い出されます。
豊洲在住時には、勝鬨橋には都電も走っていたので銀座から都電で帰ってきたのも懐かしい想い出です。
国の重要文化財にも指定されている名橋となっているが、今は「開かずの勝鬨橋」とも言われているようです。
築地寄りの袂には、日露戦争での旅順陥落祝勝記念として、築地と月島を結ぶ「かちときのわたし」の記念碑が設置されたそうで、名前の由来にもなっているのです。
勝鬨橋から築地市場へ回り裏門前に鎮座する築地の鎮守様「波除神社」に参拝してきました。
波除神社は、災難除・厄除・商売繁盛の神様として築地には欠かせない神様となっており、本殿には一対の獅子頭が奉納されていました。
境内には見どころが多くありますが、右手の獅子殿には巨大な「厄除天井大獅子」が納められており、濃茶の肌に金の歯、髭、眉毛の様相です。
本殿の左手の弁財天社には大きな「お歯黒獅子」が納められており、紅色の肌に真っ黒の歯、金色の髭と眉の配色で雌の獅子だそうです。
その隣には、天照大神や大国主命、少彦名命、天日鷲命などを祀る末社や玉子塚が建てられていました。
他にも十二支の干支の石像やお狐様が並んでおり、パワースポットになっていました。
築地市場は、この日は休市場となってあの賑やかな光景は無く閑散としていました。
魚がし横丁をぶらりと回ると、以前には何度か通ったお寿司屋さんも外観は全く変わっていませんでしたが、豊洲移転ごはどうなるのでしょうか?
あの牛飯の吉野家の発祥のお店も変わっていませんでした。
築地場外市場も多くの店はお休みとなっており、日頃の賑わいは無く静かな光景となっていたが、豊洲移転後も現状のまま残るようで楽しみです。
移転前の築地市場雰囲気は確認できませんでしたが、移転後の街並はどのようになるのだろうかと思いつつ、築地から銀座へと足を延ばしました【続く】