川越市博物館を見学の後、川越の本丸御殿、喜多院、仙波東照宮などの歴史スポットを散策してきました。
博物館から川越城本丸御殿へ向かう途中には、本丸御門があった史跡の碑が設置されています。
川越城は、室町時代に太田道灌によって築城され、日本百名城に数えられるお城で、現在は、本丸御殿の玄関部と家老詰所が保存され、城下町の歴史スポットとなっていて風格ある唐風の御門や中庭の姿が見られます。
本丸御殿の近くには、川越城の遺構として富士見櫓跡が残されており、名前の通り富士山が望めた高台だったようで、現在は小広場が残されて記念碑が設置されています。
「川越大師」と言われる「喜多院」は、川越大火で焼失後、江戸城から徳川家光公誕生の間や春日局の間などが移築されたそうで、徳川家ゆかりの名刹となっており、国の重要文化財となっています。
この日は、七五三詣の参拝者の姿も見られ、開運・厄除けのパワースポットとなっているようです。
本殿の前には、下層は方形・上層は円形の宝形造りの二重層を有する「多宝塔」があり、二体の釈迦如来が祀られ、この日は扉は閉じられていましたが、江戸時代の貴重な建造物として重要文化財となっています
喜多院の境内にある「五百羅漢」は、日本三大五百羅漢の一つで、内部には、約50年かけて建立された、中央の高座の大仏・釈迦如来・阿弥陀如来を含めて約500体の羅漢様が鎮座し、親近感を感じる表情の羅漢様が並び、和みの空間が作られて聖なる雰囲気を感じていました。
慈眼堂前の参道門だった「鐘楼門」では、龍の彫刻や内部には銅鐘が保存され、装飾豊かな建物で国の重要文化財に指定されています。
境内の丘の上の「慈眼堂」は、慈眼大師天海僧正を祀られていて趣ある景観が見られます。
境内の「葵庭園」では、赤い太鼓橋の先には、弁財天厳島神社が祀られています。
喜多院の南側には、家康公が逝去して久能山から日光に遺骨を送られる際に、喜多院で大法要が行われた「仙波東照宮」では、三つ葉葵の家紋が飾られて「日本三大東照宮」となっていて、拝殿と本殿前には多くの石灯籠が置かれて、上野東照宮と同じような聖なる雰囲気がかもしだされています。
喜多院境内には、大きな堀が残されており、「どろぼう橋」が架けられていて、江戸時代には、境内は新領地となっており、町奉行も境内に入れず、盗賊が逃げ込んだそうで、現在は、木漏れ日の道となっています。
喜多院近くの出世稲荷神社の鳥居横には、樹齢650年余と推定される約26mの大イチョウが聳え立ち、旺盛な姿を誇っていて、市の天然記念物となっています。
八幡通りに鎮座する川越八幡宮は、約1200年前に甲斐守源頼信によって、当地で必勝祈願を行い創建された神社で、現在もパワースポットとなっていて、多くの参拝者で賑わっていました。
鳥居前では、地元の神輿と山車が寄せてきて、担ぎ手と観光客と共に宮司からお祓いを受けて、迫力ある祭りの光景が見られ、大変な盛り上がりとなっていました。
小江戸川越の伝統のまつりの雰囲気と歴史を学びながらのぶら散歩を楽しんだ一日でした。