本日6月28日は、ふるさと福井の「福井震災記念日」です。
あれから69年となりますが、今も忘れられない一日となっています。
福井大空襲から復興間もない昭和23年6月28日 午後5時14分(サマータイム)に突如マグニチュード7.1の直下型地震が発生し、福井市は殆ど壊滅状態になりました。
あの日は、学校から戻って自宅近くのの路上でキャッチボールをしていると、ゴオ~という爆音がして立っていられない大揺れとなり、周辺の家々は全て目の前に倒れてきて危うく下敷きになるところでした。
何が起きたのか判らず自宅へ戻ると我が家も全壊してしまい、家族は下敷きになり父母なども勤務先から戻り幸いにも怪我もなく無事でしたが、市内の家屋は全壊率80%、死者3,800人という壊滅的打撃でした。
しばらくすると市内のあちこちから火の手が上がり、市内は赤い火柱の中に竜巻のような煙の柱が立ち昇り、地獄の中に立ちすくんでいたのを鮮明に記憶しています。
当時の教科書などにも掲載された駅前の大和百貨店の崩壊の光景は有名ですが、今も福井城跡のお堀端にレリーフが残されています。
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お堀端の中央公園には「震災記念碑」が残されていますが、あの悲惨な状況からの偉大な復興の歴史を感じ取れます。
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さらに、堤防沈下によって1か月後の豪雨により九頭竜川などの堤防決壊して、バラック建ての家も泥海に浮くようだ地震と水害の複合被害も経験しています。
また、母校の体育館ではPTAの会議が行われていたため、全壊した体育館が火災となり多くの方が犠牲となり、今も震災記念碑が立てられています。
学校生活も米軍進駐軍計らいでテント教室での生活となり、各地からの支援を受けながらの学園生活が続きました。
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この春訪れた福井城跡には、今も天守台跡の石垣が崩壊したままの姿で保存されています。
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我がふるさと福井は、空襲・震災・水害など度重なる災害を乗り越えて「不死鳥(フェニックス)」の如く復興してきましたが、市の中心街には「フェニックス通り」や「フェニックスプラザ」、「フェニックスまつり」など不死鳥の名が残されています。
福井駅前も昨年再開発されて見違えるような景観に生まれ変わりましたが、我が故郷ふくいには、 「つながり」や「絆」を大切にする風土があり、「おもてなし」が一番今日の復興へと繋がっていると感じています。
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また、恐竜の国とも言われ、駅前にはふるさとの復興を一番喜んでいるシンボルの恐竜が聳え立っています。
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奇蹟的な復興を成し遂げた我が故郷は、 「幸福度日本一」や「健康長寿の国」として福井人の誇りを感じています。
近年の東日本大地震から6年余、熊本地震から1年余が過ぎていますが、共に復興途上で被災された方々には 心からお見舞い申し上げると共に、繋がりと絆を強めて一日も早い復興を願っています。
あれから69年となりますが、今も忘れられない一日となっています。
福井大空襲から復興間もない昭和23年6月28日 午後5時14分(サマータイム)に突如マグニチュード7.1の直下型地震が発生し、福井市は殆ど壊滅状態になりました。
あの日は、学校から戻って自宅近くのの路上でキャッチボールをしていると、ゴオ~という爆音がして立っていられない大揺れとなり、周辺の家々は全て目の前に倒れてきて危うく下敷きになるところでした。
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何が起きたのか判らず自宅へ戻ると我が家も全壊してしまい、家族は下敷きになり父母なども勤務先から戻り幸いにも怪我もなく無事でしたが、市内の家屋は全壊率80%、死者3,800人という壊滅的打撃でした。
しばらくすると市内のあちこちから火の手が上がり、市内は赤い火柱の中に竜巻のような煙の柱が立ち昇り、地獄の中に立ちすくんでいたのを鮮明に記憶しています。
当時の教科書などにも掲載された駅前の大和百貨店の崩壊の光景は有名ですが、今も福井城跡のお堀端にレリーフが残されています。
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お堀端の中央公園には「震災記念碑」が残されていますが、あの悲惨な状況からの偉大な復興の歴史を感じ取れます。
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さらに、堤防沈下によって1か月後の豪雨により九頭竜川などの堤防決壊して、バラック建ての家も泥海に浮くようだ地震と水害の複合被害も経験しています。
また、母校の体育館ではPTAの会議が行われていたため、全壊した体育館が火災となり多くの方が犠牲となり、今も震災記念碑が立てられています。
学校生活も米軍進駐軍計らいでテント教室での生活となり、各地からの支援を受けながらの学園生活が続きました。
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この春訪れた福井城跡には、今も天守台跡の石垣が崩壊したままの姿で保存されています。
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我がふるさと福井は、空襲・震災・水害など度重なる災害を乗り越えて「不死鳥(フェニックス)」の如く復興してきましたが、市の中心街には「フェニックス通り」や「フェニックスプラザ」、「フェニックスまつり」など不死鳥の名が残されています。
福井駅前も昨年再開発されて見違えるような景観に生まれ変わりましたが、我が故郷ふくいには、 「つながり」や「絆」を大切にする風土があり、「おもてなし」が一番今日の復興へと繋がっていると感じています。
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また、恐竜の国とも言われ、駅前にはふるさとの復興を一番喜んでいるシンボルの恐竜が聳え立っています。
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奇蹟的な復興を成し遂げた我が故郷は、 「幸福度日本一」や「健康長寿の国」として福井人の誇りを感じています。
近年の東日本大地震から6年余、熊本地震から1年余が過ぎていますが、共に復興途上で被災された方々には 心からお見舞い申し上げると共に、繋がりと絆を強めて一日も早い復興を願っています。
あちこちに震災記念碑があるのですね。
母校の体育館でPTAの会議が開かれて
いたのは知りませんでした。そこで多くの
犠牲者がでられたことも・・・・・今度帰省したときには
記念碑めぐりをして亡くなられた方たちのご冥福を
お祈りしてきましょう。
昨日は、お昼に鎮魂のサイレンが市内に鳴り響いていたそうで、改めてあのシーンを想い黙祷していました。
この時代を超えて、今は幸福度日本一ですから、何と言ったらいいのでしょうか?福井人の「しあわせ」を喜びたいです。