富士ヒルクライムに行ってきました。初参加でしたが、前日の雨から、一転して快晴の天候で気温もスタート時は、9℃と最高のコンデイションでした。
前日の受付時は、雨模様で、午後2時頃には、ピークに達していたようで、参加者の車が会場に集中して、駐車スペースがなく 大渋滞。ようやく受付を済ませたが、車が出るに出られず、道路誘導の案内も少なく 前にも後ろにも動かない状況が続いた。


会場周辺から出られても、一般道路が全く動かない・・・・
当日も、朝4時半にホテルを出たが、ホテル前から車の列で、会場に近づかない・・・幸い駐車場が会場から離れたところだったので、迂回して難を逃れた。北麓公園の会場周辺が駐車場では、大変な混乱があったのでは?
プログラムを見てビックリした。というのは、大会参加者が4,719人で、最高齢者が、男子68歳、女子63歳とか。名簿が無く確かではないが、69歳近い自分がどうも該当者のようだ。これは、完走しないと話しにもならないと、気合が入った。
マラソンでは、70、80歳も珍しくないが、バイクレースでは、それだけ中高年にはハードだということか?
スタートは、混乱もなくスタートしたが、計測開始点までは、ローリングスタートで、先導車を追い抜き禁止。各選手ものんびりと楽しそうだ。申告タイム順のスタートで、第8スタートとなった。各グループとも約500人で、総数4,719人のスタートまで、40分弱は 壮観で予想以上に時間がかかっていた。


最後のグループのスタートだったので、殆ど最後尾である。計測開始点までも、結構息が上がった。マイペースになってからは、前半 オーバーペースにならぬように注意しろとアドバイスを守り、マイペースを掴む慣らし走行に徹した。最初のスタートから約1キロは、かなりの斜度できつかったが、5キロまでにペースを刻んだ。
10キロ近くでは、富士山が残雪を抱きながら、新緑の中で最高の姿で迎えてくれる。これまでの4回の大会が、雨やガスの中でのレースだったが、今年は最高のコンデイションである。
富士山に励まされながら、ひたすら上を目指すが 最後尾グループで皆さん 結構喘いでいる。4合目からのコース最大の難所である最高斜度7.8%の山岳スプリット区間が近くなり、力を残して勝負する気持ちでいた。
10キロまでも、イーブンで刻んだ積もりだったが、結果は10キロでかなりペースダウンしていた。遂に、傾斜も強く感じたところは、歩行も入れる羽目になってきた。
第2関門を目指して、頑張っていたが、15キロ近くで後方から大会車に突然停止を命じられて、第2関門には タイムオーバーとなるからとその場で レース中止を宣告されて、収容を余儀なくされた。
関門で引っかかるのは、当然であるがその前に 走行を中止されたのには、ビックリした。
関門があるのは、そこでタイムオーバーした人を止めるのではないのだろうか?
しかし、前後にいた同じような仲間も多く それぞれ愚痴をこぼしながら 収容バスに同乗した。バスは、既に後方からかなりの走者を収容してきており 満員に近い。
最大のミスは、余力を残しながら 関門の時刻を深く考えずに甘く見ていたことだ。
ゴール地点までに、さらに次々と、レース時間3時間45分までに間に合わない走者を強制収用していった。収容バスは、後方にも2、3台が続いている。

ゴールまで、500M近くでも、容赦なく収容したのには、驚いた。これぞ血も涙もない・・・・・
関門を通過した人は、たとえレース時間をタイムオーバーしても ゴールさせて欲しい。
マラソン大会では、考えられないことだ。
おそらく、スバルラインの開放時間が迫っており、一般車両が通過すると危険が伴うからだろうが、であれば事前に 関門以外でも収容することを説明して欲しかった。
ゴール地点では、先に完走していた妻が、心配そうに待っていた。レース前には、先にスタートした連れを途中で追いつく予定だった。
何はともあれ 最高の天候の中で 楽しいライドを経験して また次への挑戦に気を新たにした。富士山の笑顔が、何よりも力と勇気を与えてくれ、疲れを癒してくれた
地元や大会関係者の努力に、感謝したい。
スタート地点にもどり、スポンサー提供の商品をジャンケン大会で取り合ったが、ここでも妻は、エアポンプをゲットした。
これでますます 頭があがらない日が続くのだろうか?