毎年8月1日に開かれる介護療養施設の夏祭り、多彩なイベント。
夕涼みにはちょうどいい夏祭り。
すぐ近くにある、大型の介護療養施設で、入所者をはじめ近隣の老若男女を集め毎年8月1日に開かれている。
娘が勤めていることもあり、三人の子どもの後見人、つまり孫の守りに駆り出され、あらかじめお札をコインに両替する小遣い提供者の役割を受け持つ。
毎年オープニングセレモニーの一つ「岩国太鼓」で華やかに幕が開く。
地元のダンシングチームによる派手なパフォーマンスも拍手を浴びる。
それよりなにより、施設の職員や地元商工連の出店が一段と雰囲気を盛り上げる。
少子化にともなうお手伝いの数も減り、このようなお祭り的な人の集まる機会が極端に少なくなった。あそこでもここでも行われた盆踊りさえも非常に少なくなった。
そんな寂しい夏休みの子どもたちにとって、大いに楽しみなイベントとして定着しつつある。小中学生が多く集まる。珍しく大人の数を凌ぐほど集まる。
この会場に限って言えば、高齢化は避けられないが、少子化と言う言葉に若干の抵抗をおぼえるほど集まってくる。楽しい光景ではある。
兄ちゃんがやっているボールすくいを悠雅君も一丁前に!
こういったお祭りには、テキ屋と呼ばれる出店をなりわいにする商売人がいて、お祭りその物に活気を呈したものだ。
そんなテキ屋さんも今は昔の物語となった。フーテンの寅さんがいなくなった。
子どもの目が輝くこんなお祭りが、いつしか子ども心にふるさとを大切に思う気持ちや、汗を流して準備する大人たちへの淡い感謝、そしてそこで遊ぶ友達同士の連帯感みたいなものも育まれていたのではなかろうか・・・などとちょっと年寄りじみたことを考えてみる。
それもこれも、後を絶たない「いじめ」や小中学生の自殺などという不幸な言葉が、日常的に目に映り耳に入ってくるからだろう。
祭りがあったらいじめがなくなるか。そんな単純な問題ではないことは百も承知。
ただ我々の遠く及ばないところで繰り返される悲劇に、なんとか一役買えないものだろうか、と思う気持ちはある。ボールすくいを無邪気にやっている孫兄ちゃんが、来年は中学生になる。
長い時間をかけてこういう世の中になったのですから、特効薬などないのでしょうが、なんかしら問題意識に欠けるような気がしています。
太鼓を見て悠君は飛び入りしたくなられたのでは?(笑)
最年少で初舞台を踏む日が来るのではありませんか。
子どもは地域でも育つと昔から聞いてきているのですが、
家庭以外の場でできることはありそうなのに、ですよね。
ありそうなのに…
どうにかならんのかなあと心痛めますよね…
夏祭りは地域の人たちが集えるよい場だと思います。
興味津々なのになかなか音を出すまでには大きな勇気が要るようです。
私たちが青年団を卒業するころからでしょうか、盆踊りだの夏祭りだのが一気に衰退していったようです。
同時にクルマ社会になり、各家庭が裕福になり、遠くまで簡単に出かけられるし、テレビの魅力に押されて夏祭りまで衰えて行った・・・そしてあの和歌山の夏祭り毒入りカレー事件。
もっと人間らしい穏やかに過ごせる世の中が、もう一度めぐりこないかな・・・などと。