ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

8月10日=全校登校日だったっけ…

2022-08-10 22:10:59 | 「育」業
8月10日。
子どものころは、特別な日だったなあ。
何かというと、夏休み中の「全校登校日」だったのだ。
私の住んでいた地域では、毎年7月25日から8月31日までが夏休み。
だいたい38日間の夏休みだった。
だが、夏休み中でも学校に行かなくてはいけない日があった。
それが、「全校登校日」というもので、8月の10日と21日の2回あった。
子ども心に、「夏休み中なのに、なんで学校に行かなくちゃあいけないんだよぉ」と思ったものだった。
先生たちは、「子どもたちが元気かどうか確かめるため」なんて話していたけれど。

中学生の頃だったかな、その真の理由が分かった。
8月10日は、あの頃に新潟県の教員全体を対象にしていた「寒冷地手当」という特別な手当の支給日だった。
21日は、8月の月給の支給日だった。
要するに、先生たちは手当や給料を受け取るために、必ず出勤する必要があった。
どうせなら、生徒指導上のこともあるから、子どもたちも全員学校に呼んで、生活を引き締めよう、といいうことだったらしい。
「じゃあ、オレ達にも給料くれよ~!」なんて言う同級生もいたけどね。
登校日については、小学校の頃には、粗暴な(?)同級生たちとは会いたくなかったからいやだった。
けれども、中学校の頃には、学校に行けば、久しぶりに好きな女の子に会える、なんていう邪な気持ちもあって、そんなにいやではなかった。(「邪」…「よこしま」と読む)

大人になって、学校に登校してくる子どもたちを迎える立場になった。
すると、久々に会う子どもたちが真っ黒になって元気でいるのを見ると、本当にうれしかった。
給料や手当をもらう以上に、子どもたちに会うことがすごくうれしいものだった。
やっぱり、登校日っていいなあ。
登校日のよさを深く認識したのであった。

やがて、件の手当は地域によって出なくなり、給料も金融機関へ振り込まれるようになったから、無理に出勤する必要はなくなった。
また、無理して子どもたちを学校に登校させることによさも見出せなくなり、ほとんどの学校で全校登校日もなくなった。

8月10日=全校登校日。
こんなことも、古い時代の思い出にしか過ぎないものになっていく…。
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50歳を生きるT君と話したのは、23,24年ぶり

2022-02-12 22:31:07 | 「育」業
T君。
電話ではあったが、彼と話したのは、何年ぶりだろうか。
たぶん、23,4年たっていると思う。
その時会ったのは、彼らが20代後半の時で、同級会だったはず。
その5年後くらいに、他のメンバーたちとは会う機会があったのだが、彼は来なかった。

彼をはじめとするメンバー十数名に会ったのは、もう41年も前になる。
あの頃はまだ9歳だった彼らが、今は、堂々たる50歳である。
そのT君から、久々の連絡があった。
電話で30数分も話してしまった。
彼の現在の様子をここに書くことは、個人のことになってしまうので書かないが、元気でいることがわかり、うれしかった。

かつての自分の仕事は、ある意味聖職だと言われることがある。
そんな形容はどうでもいいが、その後、それぞれが自分の人生をしっかり生きていることを知ることが、私の最大の喜びだ。
今日は、久々にその喜びに浸ることができた。

小学校時代、彼は、スポーツが大好きな少年であり、クラスのリーダー的存在であった。
自分をしっかり持っていて、気骨があった。
マンガ「キャプテン」の谷口タカオが、彼の目指す姿だった。
高校野球で甲子園に行くことを夢見て、家で一人でもトレーニングを重ねる少年だった。
だから、細身の体ながら、肩から首にかけての筋肉が盛り上がり、腹筋は引き締まっていて見事なものだった。

その彼が、今日、会話の中で自分の信条としている言葉をあげながら、今の生き方を話してくれた。
その言葉は、
自ら省みて縮(なお)くんば 一千万人といえども我いかん
というもの。

この意味は、「自分の心を振り返ってみたときに自分が正しければ、たとえ相手が千万人であっても私は敢然と進んでこれに当たろう」という孟子の言葉である。

まさにT君の生き様、信念を表す言葉なのだろう。
この言葉から、人生で多くの困難がありながらも、敢然として自らの道を進もうとする、彼の心意気が伝わってくる。
私は、今までこの言葉は知らなかったから、よいものを教えてもらったと思っている。

決して、今、満ち足りた生活をしているとは言えない彼だが、まだまだこれから。
きっと、これからの人生も、自分でしっかり道を切り拓いていくことだろう。
こうして職を退いても、かつての教え子から新しい力をもらえるのだから、本当に有り難い。
T君、ありがとう!!

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詩「こどもとおとな」(谷川俊太郎)から思い出したこと

2022-01-14 21:19:37 | 「育」業
先日、ここで書いた谷川俊太郎・小室等共著の「プロテストソング」(小室等のアルバムでは「プロテストソング2」)の中にあった詩で、「こどもとおとな」というものがあった。

こどもとおとな

きみはこども
ぼくはおとな
きみはちいさい
ぼくはおおきい
でもおなじ
いのちのおもさ

あなたはこども
わたしはおとな
あなたはよわい
わたしはつよい
でもおなじ
わらいとなみだ

きみたちこども
ぼくらはおとな
きみたちおぼえる
たいせつなこと
ぼくらはわすれる
たいせつなこと


子どもと大人では、たしかに、子どもより大人の方が大きく、強い。
3連からなるこの詩でも、2連までは大人の優位さが強調される。
大人の優位さは、3連で、ひっくり返される。
子どもたちは大切なことをどんどん覚えていくのに、大人は大切なことをどんどん忘れていく。
仮にそれが、生きるための物分かりのよさからきているとしても。
だけど、子どもだって大人だって、命の重さは同じ。
うれしいことには笑い、悲しいときには涙を流す。
同じ人間なのだから。

気をつけなくてはいけない。
大人が、子どもを見下した見方だけをしようとしていないか、を。
まして、子どもの力を伸ばしたり育てたりするのを職とした人ならば。

そんな思いから、現職時代の後半は、自分と勤務先の職員たちに求めていた。
「子ども一人一人の存在をリスペクトし、子どもの心に寄り添って、信頼関係を築く 」ことを。

指導の効果を高めるのは、子どもとの信頼関係を築けたときです。
その信頼関係を築き高めるには、子どもの心に寄り添うことができるかどうかが大きなポイントです。
「よくしよう」とする教師側の一方通行の思いだけを伝えていると、やがて子どもの心は、離れていきます。
私たちの思いを子どもに届けることより先に、子どもの思いを、もっている哀しさを、私たちが知ろうとすることの方が大切です。
そのためには、子ども一人一人の存在をリスペクトする心をもちたいものです。
子どもは、私たちにたくさんのことを教えてくれています。
私たちにリスペクトする心がなければ、子どもから学ぶことはできません。
子どもの名前を呼び捨てにするなどの行為は、見下しを表すことにほかなりません。


谷川俊太郎氏の「こどもとおとな」の詩を繰り返し読んでいたら、こんなことを自分や勤務先の職員に求めていたことを思い出したのだった。
今もそれは間違っていない、大切なことだったと思っている…。
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そうか、中学校の市内大会なんだね…

2021-06-09 15:50:33 | 「育」業
毎週水曜日は、娘のジョギング曜日。
毎回3kmのスロージョギング。
今日の午前中も、近くの運動公園へジョギングに出た。

グラウンドでは、サッカーの試合をしているのが分かった。
体格を見ると、よく見かける高校生ではない。
それよりもひと回り小さく感じたから、きっと中学生だなと思った。

でも、今日は、平日。
平日の午前中に中学生がサッカー…!?
あっ、そうか!
市内大会のシーズンだ。

そういえば…と思い出した。
去年の今頃は、COVID-19感染症の拡大で、中体連大会も中止となったのだった。
私たち大人には、中止になる年があっても、ただそう思うだけだが、中学生たちにとってみると、貴重な今は今しかないのである。
せっかく中学入学以来がんばってきた各種の部活動の大会が開催されず、非常にかわいそうな措置となったのだった。

今年は、感染症が縮小したかというと、決してそういうわけではない。
去年に比べたって、感染者は多くなったとさえいえる。
しかし、今年は大会が開催されている。
感染症対策を施しながら実施できているということだ。
まずは、よかったなあ。

そう思いながら、日陰の建物のそばを通った時に、次の試合に備えて休んでいる中学生たちの中に見覚えのある少年の顔があった。
マスクをしていたが、特徴のあるくせ毛と目元。
屋外で運動中なので、私はマスクをしていなかったから、目が合った。
彼に手を振ると、彼は、「!」付きで私の名を呼んだ。
周囲の生徒の中にも、私の名前をつぶやく子がいた。
こちらは走っていたし、一緒に走っている娘のこともあるので、もう一度手を振って通り過ぎた。

最後にもう一度振り返ると、4,5人の男子が手を振ってくれていた。
彼らは、4月から中学生。
3月末までの約2か月間、かかわった子たちがいたはずだ。
同じクラスだった子も隣のクラスだった子もいたのだろう。
元気そうで何よりだ。

私が4月から家で変わらない毎日を送っている間も、彼らは中学校での生活が始まり、新しい「今」を積み重ね、変化に富んだ毎日を送っていることだろう。
もう1回手を振った。
引き続き、元気で、今を充実させてがんばれよ―!
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うれしいはがき

2021-05-07 21:41:58 | 「育」業
1通のうれしいはがきが届いた。

中学生になりました。
はじめはきんちょうしながら学校に行っていましたが、今は学校にも慣れてきて、毎日楽しいです。
部活は陸上部に入り、高跳びや短距離をがんばっています。
部活で大変な時もあります。
特に、部長に長距離をやれと言われたとき。
でも、小学校とちがい、先輩がいて楽しい時もあります。
クラスは、Sくんといっしょです。
それに、新しい友だちもできました。
小学校とはちがう環境ですが、先生みたいにぼくもがんばります。
先生も、お元気でお過ごしください。


そうかあ。
元気でやっているようで、私もうれしいなあ。

1月末から3月末まで。務めたのは、最終学年の担任だった。
野球でいえば、「先発がすごくがんばって試合を続けてきたところを、アクシデントがあって最終回9回一死で急きょ交代のショートリリーフ」を任されたようなものだった。
わずか2か月弱ではあったが、高齢者一歩手前の身ながら精いっぱいの仕事をさせてもらった。
4月の間中、あの子たちはどうしているかな、とずっと気になっていた。
しかし、「便りの無いのは良い便り」と言う。
「先発だった方」の無念の思いや「自分の力で生きていく姿」への期待の心をもち、あえて知ろうとはしないで、「大丈夫。きっとみんな元気でやっているさ」と、心に言い聞かせていた私だった。
だから、今日のはがきは、本当にほっとさせてくれるものだった。
すぐに返事を書いて、投函してきた。

これからも、自分なりにがんばっていって、目の前の道をどんどん切り開いていってほしいな。

それが私の、たった一つの願いなのだ。
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子どもをリスペクトするということ

2021-03-25 22:32:50 | 「育」業
学級担任の仕事は、本当にライブの会場だった。
自分の発する言葉によって、子どもたちが反応したり理解したりするのだ。
苦しいこともたくさんあったが、やっぱり最高だった。

 一人一人の子どもをリスペクトしてその様子を伺うと、まなざしから、顔色から、声から、態度から、様々なことが伝わってくる。
それになんとか応じようとしたが、力不足を感じることが多くあった。
でも、子どもたちは、今を一生懸命生きようとしている。
馬鹿にしちゃいけない。
懸命に生きる、その姿をリスペクトすることは、小さかろうが年寄だろうが、人間として当然のことだろう。
リスペクトしてこそ、子どもから得るものが多くあり、寄り添った指導・支援ができる。
そのことを、身をもって子どもたちから改めて教えてもらった。

明日で、最後のお別れだ…。


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新たな出発の日を迎えた人たちを見守る

2021-03-24 22:14:33 | 「育」業


こんな文字が書かれた黒板。
そう、今日でひとつが終わる。
だから、彼らの新たな出発の日。

幸いによい天気。
暖かい。
式場の体育館も、今日は寒くない…。

彼らは新しい制服に身を包み、前方を見つめて歩く。
胸を張って、
ぎこちなく腕を振って、
用意された席へと歩む。

式は進み始める。
お決まりの歌を続けて歌ったあと、いよいよ出番を迎える。

しっかりと聞こえるよい返事。
きびきびした動作。
今、この時をあの子たちは、懸命に生きている。

卒業の儀式は、6年前にもあったかもしれない。
けれど、その幼い日と違うのは、今は自分を自分でコントロールして動いているってこと。
前のときには、ただ命じられたことをなぞって演技するだけだった。
今は、違う。
自分の意志で、自分の動きを一つ一つ確認して動かしている。

彼らのその振る舞いに、目頭が熱くなった。
不覚にも、彼らが合唱したときには、涙がこぼれた。
12歳の今を懸命に生きている姿が美しくて、輝いていて…。

よかったね、今日。
よかったよ、今日。

旅立つんだ、ここから。
夢へ、未来へ。
ここからは、君たちが、自分の足で歩いていくんだ。
切り開いていくんだ。
進め、進め。
輝く明日へ。
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仕事がピーク

2021-03-23 22:48:06 | 「育」業
今している仕事も、ピークを迎えた。
気を抜けない日々が続いた。
いよいよだ。


天気がよいといいなあ。
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やっぱり盛大にはできない卒業式

2021-03-19 22:13:13 | 「育」業
この感染症下の世の中では、感染拡大防止のための配慮が非常に重要だ。
去年は、安倍前首相のツルの一声で、2月末に突然全国一斉に学校が休校となってしまった。
だから、3月の卒業シーズンに、たくさんの人から祝ってはもらえない卒業式をせざるを得なくなってしまった。
理由は、密を避けるため以外の何ものでもなかった。
だから、参加するのは、卒業生とその保護者、学校職員だけという卒業式が多かった。
いつも同席する、在校生や校区の人々の来賓などに晴れの姿を見てもらうことができなかった。

…あれから1年。
今年の卒業式はどうか、というと、実は去年と変わっていない。
やはり在校生は参加しないし、会場に来賓を呼ぶことはない。
卒業式場での密を避けるためだ。
以前までのような「当たり前の卒業式」はできない。
今やこれくらいの対策を取るのは当たり前だという感覚が普通になっている。

せっかくの人生の節目なのになあ…と思う。
ただ、人生で困難に直面するのは、ザラにある。
そういうことで、まずは直面した困難を乗り越えて進む、という決意の表れた卒業生の姿を見守りたいと思う。

来週は、その卒業式こと卒業証書授与式を迎える。
睡眠不足が続く毎日だが、その日をちゃんと迎えられるよう、サポートをし続けたいものだ。
そう思うこのごろだ。

それにしても、眠い…。
少々疲れたぞっ…と。
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心の交流を感じながら…

2021-03-16 23:20:12 | 「育」業
これが、なんだか分かりますか?


鉛筆のような形をしているでしょう?
これは、紙粘土で鉛筆の形を作って色を塗り、そこにマグネットをくっ付けたもの。

小学2年生が作ったもの。
卒業する6年生のために、一生懸命作って、プレゼントしたものなのです。

それは、手紙の書かれた封筒に入っていました。


とても思いがこもっていて、かわいいですよね。
心の交流を感じます。
受け取った6年生たちは、かつて4年前、自分たちも作って6年生にプレゼントしたことがあったそうです。
そのことを思い出してか、みんなもらいながらにこにこしていました。
もらったものが、形が崩れていても、にこにこしながら…。

いいですよね、こういう光景…。

今、こういう現場で働いています。
あと半月の勤務ですが、ふれあえるのは、正味残り7日間となりました…。
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