8月10日。
子どものころは、特別な日だったなあ。
何かというと、夏休み中の「全校登校日」だったのだ。
私の住んでいた地域では、毎年7月25日から8月31日までが夏休み。
だいたい38日間の夏休みだった。
だが、夏休み中でも学校に行かなくてはいけない日があった。
それが、「全校登校日」というもので、8月の10日と21日の2回あった。
子ども心に、「夏休み中なのに、なんで学校に行かなくちゃあいけないんだよぉ」と思ったものだった。
先生たちは、「子どもたちが元気かどうか確かめるため」なんて話していたけれど。
中学生の頃だったかな、その真の理由が分かった。
8月10日は、あの頃に新潟県の教員全体を対象にしていた「寒冷地手当」という特別な手当の支給日だった。
21日は、8月の月給の支給日だった。
要するに、先生たちは手当や給料を受け取るために、必ず出勤する必要があった。
どうせなら、生徒指導上のこともあるから、子どもたちも全員学校に呼んで、生活を引き締めよう、といいうことだったらしい。
「じゃあ、オレ達にも給料くれよ~!」なんて言う同級生もいたけどね。
登校日については、小学校の頃には、粗暴な(?)同級生たちとは会いたくなかったからいやだった。
けれども、中学校の頃には、学校に行けば、久しぶりに好きな女の子に会える、なんていう邪な気持ちもあって、そんなにいやではなかった。(「邪」…「よこしま」と読む)
大人になって、学校に登校してくる子どもたちを迎える立場になった。
すると、久々に会う子どもたちが真っ黒になって元気でいるのを見ると、本当にうれしかった。
給料や手当をもらう以上に、子どもたちに会うことがすごくうれしいものだった。
やっぱり、登校日っていいなあ。
登校日のよさを深く認識したのであった。
やがて、件の手当は地域によって出なくなり、給料も金融機関へ振り込まれるようになったから、無理に出勤する必要はなくなった。
また、無理して子どもたちを学校に登校させることによさも見出せなくなり、ほとんどの学校で全校登校日もなくなった。
8月10日=全校登校日。
こんなことも、古い時代の思い出にしか過ぎないものになっていく…。
子どものころは、特別な日だったなあ。
何かというと、夏休み中の「全校登校日」だったのだ。
私の住んでいた地域では、毎年7月25日から8月31日までが夏休み。
だいたい38日間の夏休みだった。
だが、夏休み中でも学校に行かなくてはいけない日があった。
それが、「全校登校日」というもので、8月の10日と21日の2回あった。
子ども心に、「夏休み中なのに、なんで学校に行かなくちゃあいけないんだよぉ」と思ったものだった。
先生たちは、「子どもたちが元気かどうか確かめるため」なんて話していたけれど。
中学生の頃だったかな、その真の理由が分かった。
8月10日は、あの頃に新潟県の教員全体を対象にしていた「寒冷地手当」という特別な手当の支給日だった。
21日は、8月の月給の支給日だった。
要するに、先生たちは手当や給料を受け取るために、必ず出勤する必要があった。
どうせなら、生徒指導上のこともあるから、子どもたちも全員学校に呼んで、生活を引き締めよう、といいうことだったらしい。
「じゃあ、オレ達にも給料くれよ~!」なんて言う同級生もいたけどね。
登校日については、小学校の頃には、粗暴な(?)同級生たちとは会いたくなかったからいやだった。
けれども、中学校の頃には、学校に行けば、久しぶりに好きな女の子に会える、なんていう邪な気持ちもあって、そんなにいやではなかった。(「邪」…「よこしま」と読む)
大人になって、学校に登校してくる子どもたちを迎える立場になった。
すると、久々に会う子どもたちが真っ黒になって元気でいるのを見ると、本当にうれしかった。
給料や手当をもらう以上に、子どもたちに会うことがすごくうれしいものだった。
やっぱり、登校日っていいなあ。
登校日のよさを深く認識したのであった。
やがて、件の手当は地域によって出なくなり、給料も金融機関へ振り込まれるようになったから、無理に出勤する必要はなくなった。
また、無理して子どもたちを学校に登校させることによさも見出せなくなり、ほとんどの学校で全校登校日もなくなった。
8月10日=全校登校日。
こんなことも、古い時代の思い出にしか過ぎないものになっていく…。