今年も、家で鉢植えのミヤコワスレが咲いた。
その名前からして、何か昔からのいわれがあるように思う。
調べてみると、
ミヤコワスレの名は、鎌倉時代に承久の乱に敗れた順徳天皇が北条家によって佐渡島に流された際に、この花を見て心を慰め、都恋しさを忘れたとの伝承による。
と書いてあった。
その花を実際にどんな花なのかわかるようになったのは、社会人になってからのことだった。
でも、学生の頃から、どんな花なのだろう?と、気になっていたことは確かなのだ。
なぜかというと、「都忘れ」という名前の歌を、毎年のように聞いていたからだ。
谷村新司の、2枚目のソロ・アルバムの中に、「都忘れ」という歌がある。
その一部の歌詞である。
女の幸福は 心を捧げた 恋しいお方の たった一言
世間も親も 何もかも 振り捨て 生きると心に誓う
神よ心あらば 二人の行く先を せめてそっと照らして 守って遅れ
都忘れの花のように ひそかに かくれて 生きていきたい
谷村新司が水沢有美という女性とのデュエット?で歌っていた。
その女声が、甘くて魅力的であった。
1975年の12月に出たのだそうだ。
翌年には、NSPが「シャツのほころび 涙のかけら」という7枚目のアルバムを出した。
このアルバムは、私にとってもお気に入りの1枚なのだ。
その中にも、「都忘れ」という曲がある。
きみが買って来た 都忘れ 今朝も水を入れかえました
枯れてしまったら きみは帰ってこない
そんな気がして たまらなくこわくて
君にとって この暮らしがすべてと今知りました
大きすぎる夢がこわいと 書いた日記から
大きすぎる夢、とは二人で暮らすことなのかな、と当時は思っていたのだが、その後、そうではなく、彼氏の持っている夢が大きすぎて、彼女は将来が不安になったのではないか?なんて考えたりした。
その翌年あたりには、あの、「わかってください」の因幡晃が、「都忘れ」という曲を、何枚目かのシングルで発表している。
この道とおるのも 二度目になったのね
今度はしあわせに なれると思ったのに
都忘れの 花が咲く
悲しい女が とおる道に
生きてゆけるわ ひとりだけでも
もう終ったの あさい夢は
因幡晃は、ソロデビュー以来、シングルでは女心を歌った歌ばかり発表していたが、この曲では、ちょっとあきたな、なんて思ったものだった。
アルバムの中には、男の側から書いたいい歌もあるのに、などと思ったりしていた時の歌だった。
わが家に咲いたミヤコワスレの花から、40年(以上)前の「都忘れ」の歌たちを思い出してしまった。
ミヤコワスレが昔の都をしのぶ花だったとしたら、今の私も、花を見て、40年以上前の都にいた若き頃をしのんでいることになるなあ。