「忙しい人ほど、時間が多くもてる人である」
これは、中学校時代の担任が、50年近く前、卒業アルバムの職員の寄せ書きに書いてくれた言葉だ。
なんだか気になって仕方がない言葉だったので、心に残ってしまった。
最近は、心の中に、よくこの言葉が浮かんでくる。
標記の言葉は、アレクサンドル・ビネ(神学者)の「一番多忙な人が一番多くの時間を持つ」と同じ言葉なのかもしれない。
こうして2年近くのブランクを経て、外での仕事に復帰してみると、現場のなんと忙しいことか。
朝、7時半に職場に行ってから、12時間後に帰るまでの、その勤務時間が過ぎていくことのなんと早いことよ。
かつてこの現場にいたから、忙しいのはわかっていたが、今週は、改めて現在の職場がどれほどあわただしく忙しいのかが、いやおうなしに分かる1週間であった。
忙しくても時間をたくさんもてている、…なんて、恩師の書いてくれた言葉を実感するような自覚は全くない。
ただ、やはり家で毎日を送るよりも、日々の生活に起こる変化が大きい。
そこに面白さ、充実感を感じることが多いのも、確かである。
「忙しい人ほど、時間が多くもてる人である」
恩師は、忙しいときほど後で得られる充実感は大きいということを伝えたかったのだろうなあ、と思う今である。
これは、中学校時代の担任が、50年近く前、卒業アルバムの職員の寄せ書きに書いてくれた言葉だ。
なんだか気になって仕方がない言葉だったので、心に残ってしまった。
最近は、心の中に、よくこの言葉が浮かんでくる。
標記の言葉は、アレクサンドル・ビネ(神学者)の「一番多忙な人が一番多くの時間を持つ」と同じ言葉なのかもしれない。
こうして2年近くのブランクを経て、外での仕事に復帰してみると、現場のなんと忙しいことか。
朝、7時半に職場に行ってから、12時間後に帰るまでの、その勤務時間が過ぎていくことのなんと早いことよ。
かつてこの現場にいたから、忙しいのはわかっていたが、今週は、改めて現在の職場がどれほどあわただしく忙しいのかが、いやおうなしに分かる1週間であった。
忙しくても時間をたくさんもてている、…なんて、恩師の書いてくれた言葉を実感するような自覚は全くない。
ただ、やはり家で毎日を送るよりも、日々の生活に起こる変化が大きい。
そこに面白さ、充実感を感じることが多いのも、確かである。
「忙しい人ほど、時間が多くもてる人である」
恩師は、忙しいときほど後で得られる充実感は大きいということを伝えたかったのだろうなあ、と思う今である。