ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

2月になると思い出す詩「ある日」

2021-02-01 21:48:22 | 生き方
2月になった。
2月は、母が亡くなった月である。
父、そして母を失って、親がいなくなった。

それから、2年くらいして、2月にこんな詩に出合った。
自分の心にしみてくる内容があった。


   ある日
         関 洋子

ある日わたしは
自分を戒め
引きずっても
高めてくれる
親がいいとおもった

ある日わたしは
自分をなぐさめ
ふところに抱き
眠らせてくれる
親がいいとおもった

ある日わたしは
自分のそばにいて
なにもせずに
こたつねこのように
ねむりくらす
親がいいとおもった

ある日わたしは
もうどうでもよく
ただひたすら
わたしの親であり
いるだけでいいと
親を思うようになった

そのときは
もう
いなかった



5連で成る詩だが、子どもの頃からの親に対する思いの変遷が、4連までに表されている。

3連の、「なにもせずに こたつねこのように ねむりくらす 親がいいとおもった」

「こたつねこのようにねむりくらす」…これは、まさに母が癌に侵されて、危篤状態に陥ったときの姿そのものだった。
その時期が、今と同じ時期、2月の初めだった。
そして4連のように「もうどうでもよく ただひたすら わたしの親であり いるだけでいい」という思いも抱いたのであった。

やがて、最後の5連の「そのときは もう いなかった」につながってしまった。

「ある日」という詩。
2月になると思い出す詩である。
コメント
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