ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

3月だ 「どこかで春が」と感じる

2022-03-01 20:18:07 | うた
3月になった。
いよいよ春がそこまで来ているなあという気分になった。
今日は、雪ではなく降ったのは雨だったから、なおさら。
風も少し強かった。
庭の中の雪どけも進んだ。

ふと浮かぶ、小学校で歌う歌。

どこかで春が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで雲雀が 鳴いている
どこかで芽の出る 音がする
山の三月 そよ風吹いて
どこかで春が 生まれてる


みなさんご存じ、「どこかで春が」。

ちょっと調べてみると、この歌の詩は、大正時代の後半に作られ、百田宗治(ももた・そうじ)という人が作詞したものに、草川信(くさかわ・しん)という人が、曲をつけたのだという。
その名前の響きが、ちょっぴりいいぞと思ったりする!?(苦笑)
草川信は、様々な童謡の作曲に当たっている。

ゆりかごの唄(北原白秋作詞)
夕焼小焼(中村雨紅作詞)
緑のそよ風(清水かつら作詞)

これらは、私たちにもなじみの深い歌だ。
いい歌を作った人だったのだなあ、と思った。

ところで、「どこかで春が」の歌詞で、もともとは「そよ風吹いて」ではなかったのだとか。
「東風吹いて」だったらしい。
「東風」は「ひがしかぜ」ではなく「こち」と読むことは、多くの人が知っているだろう。
早春に吹く東寄りの風のことだ。
だから、意味としては「東風吹いて」がふさわしいのだろう。

まあ、「そよ風」でなく「東風(こち)」でもいいのだけれど、「そよかぜふいて」でこの歌を知って歌ってきた身としては、「こちふいて」だとずいぶん歌いにくいと感じる。

でも、雪解けの水が屋根や雨どいを伝って、水路に注いでいるし、ロウバイが咲き出したし、たしかに春が生まれている気がする。



かつて、この歌をたくさんの子どもたちと歌っていたことを懐かしく思いながら、本格的な春の訪れを待ちわびる、3月の始まりである。


コメント
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