子どものころは、春の野山に出かけて、ワラビを取って帰ってくることがあった。
取ってくるのは、もちろん子どもの私である。
ワラビは、取るのはいいとして、食べるためにはその後の処理が必要になる。
あの頃は、「あく(灰)」をかけるのだと聞いた。
当時は、家の茶の間には掘りごたつ用の囲炉裏が隠れていたから、灰汁には困らなかった。
でも、取ってきたワラビを調理するのは母だったから、どのくらいどうすればいいのかは知らないままだった。
さて、そのワラビだが、今日、ご近所さんから「いっぱいもらったから」ということで、突然おすそ分けをいただいた。
まだ取れたての立派なワラビばかりだった。
「こんなにたくさん、ありがとうございます。」
と答えたものの、はたと困った。
というのは、今日は家人がいない。
でも、ワラビをそのまま放っておいて悪くするのは、もったいない!
ならば、自分であく抜きしてみようか、と考えた。
だが、恥ずかしいが、大人になってからも、この年齢になるまでワラビのあく抜きを自分でしたことはなかった。
今は、ネット検索すると何でも出てくる時代だ。
「ワラビ あく抜き」と検索するだけで、目当ての対処法がいくつも出てきた。
昔のように、灰をかけてのあく抜きではなく、重曹を使うのが一般的だ。
だが、わが家の台所に、重曹がなかった。
掃除用の重曹は見つかったが、さすがに食品用でないのは使えない。
仕方がないので、別なものを使ってみよう。
…ということで、小麦粉を使う方法があったので、それを試してみた。
試食した際には、「いいんじゃない!?」と思ったが、夕食の際におひたしとして食べてみたら、苦みが残っていた。
残念。
今度は、この残った苦みを取る方法を知らなくては。
うまくいかなかったが、こうして自分が食べるものなら、面倒くさがらず自分の手でなんとか食べられるようにしようというのは、当たり前のことで、とても大事なことだと思う。
60数年も生きてきたのに、生きるための当たり前のことができないのではなあ…。
失敗は、成功の母。
こうして、いろいろ経験して失敗して成長していくのに、年齢は関係ない。
ワラビをもらって、ちょっぴり失敗したけれども、やってみてよかった。
これからも、身近な、まだやったことのない経験を重ねていきたいと改めて思った65歳であった。
取ってくるのは、もちろん子どもの私である。
ワラビは、取るのはいいとして、食べるためにはその後の処理が必要になる。
あの頃は、「あく(灰)」をかけるのだと聞いた。
当時は、家の茶の間には掘りごたつ用の囲炉裏が隠れていたから、灰汁には困らなかった。
でも、取ってきたワラビを調理するのは母だったから、どのくらいどうすればいいのかは知らないままだった。
さて、そのワラビだが、今日、ご近所さんから「いっぱいもらったから」ということで、突然おすそ分けをいただいた。
まだ取れたての立派なワラビばかりだった。
「こんなにたくさん、ありがとうございます。」
と答えたものの、はたと困った。
というのは、今日は家人がいない。
でも、ワラビをそのまま放っておいて悪くするのは、もったいない!
ならば、自分であく抜きしてみようか、と考えた。
だが、恥ずかしいが、大人になってからも、この年齢になるまでワラビのあく抜きを自分でしたことはなかった。
今は、ネット検索すると何でも出てくる時代だ。
「ワラビ あく抜き」と検索するだけで、目当ての対処法がいくつも出てきた。
昔のように、灰をかけてのあく抜きではなく、重曹を使うのが一般的だ。
だが、わが家の台所に、重曹がなかった。
掃除用の重曹は見つかったが、さすがに食品用でないのは使えない。
仕方がないので、別なものを使ってみよう。
…ということで、小麦粉を使う方法があったので、それを試してみた。
試食した際には、「いいんじゃない!?」と思ったが、夕食の際におひたしとして食べてみたら、苦みが残っていた。
残念。
今度は、この残った苦みを取る方法を知らなくては。
うまくいかなかったが、こうして自分が食べるものなら、面倒くさがらず自分の手でなんとか食べられるようにしようというのは、当たり前のことで、とても大事なことだと思う。
60数年も生きてきたのに、生きるための当たり前のことができないのではなあ…。
失敗は、成功の母。
こうして、いろいろ経験して失敗して成長していくのに、年齢は関係ない。
ワラビをもらって、ちょっぴり失敗したけれども、やってみてよかった。
これからも、身近な、まだやったことのない経験を重ねていきたいと改めて思った65歳であった。