以前にも黒川伊保子氏の「トリセツ」の本は読んだことがあった。
ここにも書いたことがあったが、「妻のトリセツ」がそれだった。
その後、「夫のトリセツ」、「娘のトリセツ」、「息子のトリセツ」と、トリセツシリーズがいろいろと出ていたが、手に取って読もうとは思わないでいた。
だが、今回は本棚から手に取ってみたくなった。
そのトリセツ本の名前は、「60歳のトリセツ」という。
面白くて、一気に読めた。
さすが脳科学者の書だ。
著者も私も60歳代。
今まで生きてきたことや経験してきたことで、共通していることが多くあり、著者の述べていることにいちいちうなずきながら読んだ。
なにより、現在や将来の自分に悲観することなく生きていく元気が出たから、大変にありがたい1冊となった。
前書きの文章で、まず勇気づけられる。
私は、この国の60代の人たちが、必要以上に頑張りすぎるように思えてならない。
そして、そこから先は、そういう考え方もあるのか、ということの連続だった。
50代までの人生は、生殖期間(産める期間じゃなく、子どもを一人前にするまで)であったが、60歳からの人生は、脳の生きる目的が違うのだという。
生殖期間では、自ら正しく生きようとし、子どものそれも推進してやる必要がある。
けれど、60になったら、その呪縛から解放されて、大らかな感性で生きなきゃ、と言ってくれていた。
だから、本書で、「いろんな『気にする』を捨ててもらおうと思っている」と提案し、各章で何をどう捨てるかが書いてある。
第1章「若さを気にする」を捨てる
第2章「ボケを気にする」を捨てる
第3章「子どもを気にする」を捨てる
第4章「老いと死を気にする」を捨てる
第5章「夫を気にする」を捨てる
第6章「友を気にする」を捨てる
単に各章の見出しだけ見てても、読みたい気は起こらない。
だが、それぞれの章で項立てしてある内容を読んでいくと、なるほど、と思わず膝を打つことがよくあった。
例えば、「気づく能力は、60代が最高潮」の項
60代は、人生の中で最も気づく能力が発揮される年代なのだという。
だから、「60過ぎたら、気づいたことをすべてやっていたら、一日が24時間じゃ足りなくなってくる。」
そのために、「脳がブレーキをかける」。
よく生ずる物忘れなどは、そのせいだという。
また、「定年夫たちへ」の項では、定年退職して、家にいるようになった夫に対して妻が抱く気持ちが、男性にもよく分かるように書かれてある。
家事を担当してこなかった夫は、残念ながら「家の新人」として、妻から「ぬるい指示待ち人間」に見えているのである。
どんなに頭がよくても、どんなに頑張っても妻の30年越えの経験値には絶対にかなわない。なのに、妻は自分がスーパーエクセレントな家政のプロだということに気づいていない。「誰でも気づけることでしょうに、この人、気づかないふりをするなんて怠慢だし卑怯だし、ひどすぎる」と思い込んでいるのである。
へえ~、そうなのか。
でもそう考えると、合点がいく。
では、夫は、妻にどう対応すればよいかということも、具体的に書かれてあって面白かった。
また、現在の年齢についても、読んで元気が出た。
脳は、56歳で一応の完成を見せ、その後63歳までかけて成熟する。63歳からの7年間は、ありとあらゆることに気づき、世の中を人生で一番楽しめる年代に当たる。
それならやっぱり、気づくことを楽しまなくちゃ、と思う。
自分が今まで生きてきたことを振り返り、
変にできる・できない、能力がある・ないとばかり考えていないで、
60になったら、自分が何の達人になったのか、探ってみてほしい。
という。
それらの根本にしたいのは、
なによりも重要なのは、「人生は、自分のためにある」ということ。
だから、自分のよさにもっと気づいていいのだろう。
そして、この年代になって、しっかり肝に据えておきたい言葉が、後書きに出てきた。
「脳は、この人生を、自分で選んで始めた」
ともすると、自分の人生なんてちっぽけなものだ、などと自虐に走りやすい傾向にある自分たちの世代。
自分の脳が自分で選んで始めた人生だから、何を後悔する必要があろう。
自分の人生に対するプライドをもっともっていいのだ。
自分に自信をくれた。
60歳のトリセツ。
これは、今の自分に対する大切なトリセツであった。