本当は、利尻富士とも呼ばれる、利尻山に登ってみたかった。
利尻山には、リシリソウ、リシリシンドウ、リシリゲンゲなど、特有の高山植物が見られるという。
ぜひ、この目で見たいものだと思った。
だが、調べてみると、利尻山は、危険箇所が多いこと、本格的な装備をしなければいけないこと、時間がかかること、などから「上級者向け」の山であることがわかった。
途中まで登ったらどうだろう?とも考えたが、「高山植物」ゆえ、やはり8合目以上に登らないと目的の花々にはお目にかかれないらしい。
…ということで、登山はあきらめた。
だが、平地でも高山植物がいろいろと見かけることができるということを聞いていたので、それらをこの目で確かめる行動に出ることにした。
宿泊した沓形から野崎というところまで、サイクリングロードが走っている。
そこを走りながら、珍しい草花を見かけたら、写真に撮っていこうということにした。
しかし、その距離24.9km。
往復すると、約50km!!?
うーん、これはすごい。
私は大丈夫、行けると思うが、問題は、妻だ。
彼女は、日頃からデスクワークが多く、あまり歩いていない。
…という不安から、妻の自転車は電動アシスト付き自転車にしてもらった。
意気揚々と出発。
すると、まもなく、降水確率0%なのに、いきなり雨!
幸いにも、駐車場・駐輪場があり、東屋で雨やどり。
そこは、会津藩士の墓があった。
昔、1808年、ロシアの攻撃に対して、江戸幕府から名を受けた会津藩士が警護にあたったが、病死したり海で沈没したり被災したりして亡くなった人も多くいたとのこと。
その人々の功績を認め、しのんで建てたものということだ。
さて、サイクリングロードは、時々普通の車道と交差したり併用となったりしながら、続いていく。
本州では、平地で見ることのない草花を次々と見かける。
ヤナギランが、ロード沿いや普通の家の庭にも何気なく咲いている。
ツリガネニンジンやヤマハハコ、
ハンゴンソウ
などをそこかしこに見つけることができる。
ほかにも、
カセンソウ
や、ハクサンフウロに似た花
(エゾフウロ?)にも出合うことができた。
そして、何より、名も知らぬ花々を次々に見かけるのが楽しい。
お初にお目にかかったのは、この花、リシリヒナゲシ。
やさしい黄色の花の色。
ポピーのようでもあるが、咲く土地は、砂利のところばかり。
これでは地中の養分は期待できないだろうに。
でも、高山植物の女王コマクサは、小石ばかりのような斜面に生えていたっけ。
養分の少ない厳しい地面という点では、共通点がある。
エゾカワラナデシコ、
キタノコギリソウ
他にも、クサレダマ
エゾオグルマ、
トウゲブキ
、
ミヤマキンポウゲ
、
エゾノカワラマツバ(?)など黄色い花々も目立つ。
富士野園地というところを過ぎると、めちゃくちゃ向かい風が強くなった。
二人とも、必死で自転車をこいで、やっと風向きが変わったところは、残り3分の1くらいを示す7.8kmの標示。
やれやれ、あとそのくらいになったか…。
…と、ほっとしたのは、実は間違いだった。
こともあろうに、そこからは、自転車道なのに、上り坂、上り坂、上り坂…の連続。
いやあ、電動アシストでないわが自転車は、苦しい、苦しい。
もっとも、電動アシスト車の妻も、上りで苦しんでいた。
やっと頂上へ。
橋上から、こんなに高いところまで登ってしまった、と感慨。
しかし、さらに苦難は続く。
妻の自転車はブレーキの効きが悪い。
キャアー~!!!!なんて声を出しながら、時折の下り坂で、たびたび私を追い越して行ってしまった…。
結婚30周年が、別の記念になってしまいませんように、アーメン…!
―そんな不埒なことを考えたせいか、すぐに私に天罰が下った。
山の小さな虫が、もろに右目に飛び込んできた。
自転車を止めて、取ろうとしたが、ダメ。
い、痛い。
目を洗う水がほしいが、ない!
涙をためてみるが、ごろごろしていて、痛みは消えない。
いやあ、まいった…。
やがて、だいぶ下りて行ったところで、生きていた妻と合流。
ほどなくして、やっと終点野崎展望台まで行き着いた。
約25km、完走です。
トイレで目を洗い、一段落。
ふう~。やっとだいぶゴロゴロ感がなくなり、痛みがとれた。
痛みのとれた目で見ると、ガードレールがこんな粋な模様
になっていた。
ひと休みして、帰ることにした。
帰路は、もうあんなアップダウンの激しいサイクリングロードを帰る余力はなく、下の自動車が通る道を延々と行くことにした。
しかし、帰路もまたひどかった。
鴛泊の街を出るまでは、よく晴れていて、すごく暑かった。
おまけに、鴛泊の港から街の中、結構アップダウンが激しいのだ。
さらに、鴛泊地区から遠ざかるにつれて、向かい風がきつくなってきた。
道は、やはり小刻みなアップダウンが続く。
下り坂も、向かい風の強さのせいで、ペダルを踏まないとなかなか進まない。
立ち乗りしながら、前傾姿勢で座りながら、頻繁に3段変速を繰り返しながら、ひっきりなしに、ペダルをこいだ。
20km近くの道のりが、とてつもなく遠く感じた。
「沓形」の集落に入った時は、やっと帰って来たぞ、と思った。
50代半ばの夫婦は、それこそ「ふうふう」言いながら、宿に帰り着いた。
40km以上も自転車に乗るなんて、今までもなかったし、これからもないだろう。
30周年の、まさしく「よい思い出」となって残ることであろう。
利尻山には、リシリソウ、リシリシンドウ、リシリゲンゲなど、特有の高山植物が見られるという。
ぜひ、この目で見たいものだと思った。
だが、調べてみると、利尻山は、危険箇所が多いこと、本格的な装備をしなければいけないこと、時間がかかること、などから「上級者向け」の山であることがわかった。
途中まで登ったらどうだろう?とも考えたが、「高山植物」ゆえ、やはり8合目以上に登らないと目的の花々にはお目にかかれないらしい。
…ということで、登山はあきらめた。
だが、平地でも高山植物がいろいろと見かけることができるということを聞いていたので、それらをこの目で確かめる行動に出ることにした。
宿泊した沓形から野崎というところまで、サイクリングロードが走っている。
そこを走りながら、珍しい草花を見かけたら、写真に撮っていこうということにした。
しかし、その距離24.9km。
往復すると、約50km!!?
うーん、これはすごい。
私は大丈夫、行けると思うが、問題は、妻だ。
彼女は、日頃からデスクワークが多く、あまり歩いていない。
…という不安から、妻の自転車は電動アシスト付き自転車にしてもらった。
意気揚々と出発。
すると、まもなく、降水確率0%なのに、いきなり雨!
幸いにも、駐車場・駐輪場があり、東屋で雨やどり。
そこは、会津藩士の墓があった。
昔、1808年、ロシアの攻撃に対して、江戸幕府から名を受けた会津藩士が警護にあたったが、病死したり海で沈没したり被災したりして亡くなった人も多くいたとのこと。
その人々の功績を認め、しのんで建てたものということだ。
さて、サイクリングロードは、時々普通の車道と交差したり併用となったりしながら、続いていく。
本州では、平地で見ることのない草花を次々と見かける。
ヤナギランが、ロード沿いや普通の家の庭にも何気なく咲いている。
ツリガネニンジンやヤマハハコ、
ハンゴンソウ
などをそこかしこに見つけることができる。
ほかにも、
カセンソウ
や、ハクサンフウロに似た花
(エゾフウロ?)にも出合うことができた。
そして、何より、名も知らぬ花々を次々に見かけるのが楽しい。
お初にお目にかかったのは、この花、リシリヒナゲシ。
やさしい黄色の花の色。
ポピーのようでもあるが、咲く土地は、砂利のところばかり。
これでは地中の養分は期待できないだろうに。
でも、高山植物の女王コマクサは、小石ばかりのような斜面に生えていたっけ。
養分の少ない厳しい地面という点では、共通点がある。
エゾカワラナデシコ、
キタノコギリソウ
他にも、クサレダマ
エゾオグルマ、
トウゲブキ
、
ミヤマキンポウゲ
、
エゾノカワラマツバ(?)など黄色い花々も目立つ。
富士野園地というところを過ぎると、めちゃくちゃ向かい風が強くなった。
二人とも、必死で自転車をこいで、やっと風向きが変わったところは、残り3分の1くらいを示す7.8kmの標示。
やれやれ、あとそのくらいになったか…。
…と、ほっとしたのは、実は間違いだった。
こともあろうに、そこからは、自転車道なのに、上り坂、上り坂、上り坂…の連続。
いやあ、電動アシストでないわが自転車は、苦しい、苦しい。
もっとも、電動アシスト車の妻も、上りで苦しんでいた。
やっと頂上へ。
橋上から、こんなに高いところまで登ってしまった、と感慨。
しかし、さらに苦難は続く。
妻の自転車はブレーキの効きが悪い。
キャアー~!!!!なんて声を出しながら、時折の下り坂で、たびたび私を追い越して行ってしまった…。
結婚30周年が、別の記念になってしまいませんように、アーメン…!
―そんな不埒なことを考えたせいか、すぐに私に天罰が下った。
山の小さな虫が、もろに右目に飛び込んできた。
自転車を止めて、取ろうとしたが、ダメ。
い、痛い。
目を洗う水がほしいが、ない!
涙をためてみるが、ごろごろしていて、痛みは消えない。
いやあ、まいった…。
やがて、だいぶ下りて行ったところで、生きていた妻と合流。
ほどなくして、やっと終点野崎展望台まで行き着いた。
約25km、完走です。
トイレで目を洗い、一段落。
ふう~。やっとだいぶゴロゴロ感がなくなり、痛みがとれた。
痛みのとれた目で見ると、ガードレールがこんな粋な模様
になっていた。
ひと休みして、帰ることにした。
帰路は、もうあんなアップダウンの激しいサイクリングロードを帰る余力はなく、下の自動車が通る道を延々と行くことにした。
しかし、帰路もまたひどかった。
鴛泊の街を出るまでは、よく晴れていて、すごく暑かった。
おまけに、鴛泊の港から街の中、結構アップダウンが激しいのだ。
さらに、鴛泊地区から遠ざかるにつれて、向かい風がきつくなってきた。
道は、やはり小刻みなアップダウンが続く。
下り坂も、向かい風の強さのせいで、ペダルを踏まないとなかなか進まない。
立ち乗りしながら、前傾姿勢で座りながら、頻繁に3段変速を繰り返しながら、ひっきりなしに、ペダルをこいだ。
20km近くの道のりが、とてつもなく遠く感じた。
「沓形」の集落に入った時は、やっと帰って来たぞ、と思った。
50代半ばの夫婦は、それこそ「ふうふう」言いながら、宿に帰り着いた。
40km以上も自転車に乗るなんて、今までもなかったし、これからもないだろう。
30周年の、まさしく「よい思い出」となって残ることであろう。