『夫婦仲がこじれた上に、子どもが急に乱暴になって「これが自分の子か」と恐ろしくなるような言葉を親に投げつけてくる。「もう、どうしたらいいのか分からなくて……」と訴える方がいました。しかし、そうして追い詰められ「自分の力では、もうどうにもならない」とせっぱ詰まって初めて、人の言葉を本気で聞く気になってくるのですね。
仏さまは「一切衆生はわが子。私が必ずみんなを救護(くご)してあげます」とお約束くださっています。それなのに、どうしてこんなつらい目に遭わされるんだろう、と恨みたくなることも人生にはしばしばあります。次から次へ不幸が重なって、「神も仏もあるものか」と捨てばちになりかけるときもあります。しかし、仏さまは決して私たちをお見捨てになることはありません。
苦しみを与えられるのも仏さまのお見守りで、いまこそ自分をしっかりと見つめて、自分を変えなくてはならない時だ、と教えてくださっているのです。崖っぷちに追い詰められた時こそ、正念場です。また、その時こそまわりの人が声をかけてあげなくてはならない大切な時なのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より
PS 不都合なことをも仏さまからの叱咤激励と感謝で受け止める。自分を変える、これが仏法による本質的な救われ方です。悟りです。