四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

愛のシンボル

2007-06-05 05:28:10 | 生かされて今日
 三井寺で最も感動した「一切経蔵」です。お釈迦様が四十年間足裏が板になるまで私たちに説かれた愛語、経典が一面五十の引き出しに八面ですから四百の引き出しに納められています。
つまりこの蔵は即、釈尊の私たちへの愛そのものと云えましょう。
紀元前の大昔、灼熱のインド大陸の荒野に垂れ死にされるまで自己犠牲された釈尊の偉大なる慈悲が詰っております。損得勘定のみの娑婆世界に、尊い生き方を象徴しています。
また、私たちを赤ん坊からはぐんで頂いた父母、先祖のシンボルでもあります。
                                 南無妙法蓮華経
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ここが三井寺

2007-06-04 06:36:32 | 生かされて今日
 青楓と琵琶湖疎水の青々としたゆたかな音を登ると比叡山延暦寺と争い、信長に焼き払われた有名な寺。はじめての参拝。「三井寺の門たゝかばやけふの月  芭蕉」
観音堂から芭蕉さんが愛した湖南の風景を眺めました
「行春を近江の人とをしみける」の名吟そのままの季節です。古来ここは観月の名所とか。蘇我入鹿を倒した天智天皇や持統天皇の産湯の音も今も耳に響きます。
「春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」持統天皇

 最も心打たれたのは、室町時代の毛利輝元寄進の「一切経堂」。八角形の回転式です。高句麗渡来の仏典を納め真理を求める志が詰っていて、楽好みで怠けやすい私には高僧から叱責されている感じがしました。
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紫式部に逢う

2007-06-03 06:14:20 | 生かされて今日
 入試で苦しめられた「源氏物語」はここで誕生したそうです。なんせ当時の世界最先端の恋愛大作です。ややっこしい貴族の人間模様で以来触れたことはありませんでした。
この本堂は国宝です。中央に写る火頭窓(かとうまど)が「源氏の間」で、式部の人形が座していました。
 青かえでがホント美しい。石段を昇ると端正な国宝・多宝塔、芭蕉庵からは琵琶湖がかすんで見えました。
  ♪石山や式部の窓に緑さす    駿
  ♪石山にかすむ琵琶湖の瀬田の口   駿
むかし戦略の地、瀬田川も今はカッターの走る平和境です。
  ♪初夏やオールの揃ふ艇の声   駿
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石山寺のお祭

2007-06-02 14:42:30 | 生かされて今日
 瀬田の唐橋を過ぎると終点の石山寺駅、瀬田川の清流沿いの薫風を吸い十分歩くと
石山詣でで高名な古刹・石山寺。初めての参上です。
 ♪風みどり櫂ひるがへる瀬田の川  駿  この川は宇治へ下ります。
 重文で源頼朝寄進の東大門右横に大きな鬼が飾られ、たまたま今日は青鬼祭り当日
に当たりました。檀家の美人ふたりも拝めましたし、鬼の絵の大きな団扇を魔よけに
頂いてラッキー。闘病中の義兄へのおみやげにしました。
 本尊の観音さまは「勅封(ちょくふう)」、つまり天皇の命がないと開けられない
秘仏だそうです。観音さまにつながる有難い紐を額に頂きました。
青かえでとプロペラ状のピンクの実も美しいお寺でした。

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離反の弟子も

2007-06-01 16:10:00 | 生かされて今日
 曲翠(きょくすい)は地元近江膳所藩の重臣で江戸勤務時に入門、芭蕉翁の信頼厚い弟子で、借金を頼むなど弟子の中で最も多い手紙が遺されています。
悪臣を槍で刺し殺して自害して果てました。
翁には深川芭蕉庵を提供し最後まで経済上の面倒をみた杉風(さんぷう)や其角、去来、女弟子の園女(そのめ)など愛弟子も多いが、作風の変化に付いて行けずに離反していった弟子もいていかにも人間的な側面も興味深い。
 昭和40年の義仲寺再建には、東京在住の一個人の寄進によるものだとは知りませんでした。名を伏せた篤志家に感謝するばかりです。そういえば京都の落柿舎も個人の寄付で再建されたとか。
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