荷茶屋(にないちゃや)で十分休憩して膝の痛みも治まったので、万葉植物園に入園した。4月18日に行って25日にUPして以来の、万葉植物園である。
あの時も表門の所に「御衣黄が咲いています」とお知らせ看板が立っていたが、今回も受け付けの所に、「むらさき」が咲いていますと手書きでのお知らせがあった。
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る 額田王
紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも 大海人皇子
歌は、額田王が、天智天皇のご料地(近江の蒲生野)での薬狩りの折り、かつての恋人大海人皇子(天武天皇)にあてて詠んだもので、大海人が返した歌にも紫草(むらさき)が詠まれています。この植物が愛の相聞のモチーフになっており、共に万葉集を象徴する歌として広く親しまれているものです。
万葉集を象徴する植物「紫草(むらさき)」の保存活動
豊かな自然を象徴する希少種「紫草(むらさき)」
紫草(むらさき)は、その根(紫根)に特殊な有効色素成分を含むことから、古代より染料や薬用として大切にされてきました。また、飛鳥・奈良時代の万葉集に始まり、平安時代の枕草子や源氏物語を経て近代の宮沢賢治に至るまで、数多くの文学作品に『日本の伝統文化を象徴する植物』として扱われてきました。しかし、もともと自生地が限られてきた上に、近年の環境破壊や帰化植物の威勢に押され、ついに絶滅危惧種ⅠB(※1)に指定されるに至ってしまいました。草原から姿を消したことで、紫草の存在そのものを知る人がほとんどいないというのが現状です。
私も万葉植物園に何度も来ているが、実際この小さい可憐な花が咲いているのを見たのは、今回が初めてで貴重な花を見ることのできたこの日が、ひ孫のお宮参りの日と重なって、忘れがたいものとなった。
追記・・・むらさきについて調べていたら下記のような記述を見つけたので
他の文学作品においても、紫草の扱いは格別で、特に源氏物語に登場する最上の女性達には「紫」が名付けられ、作者も「紫」式部と呼ばれました。その後の古今和歌集、枕草子などの古典から、近現代の宮沢賢治の童話に至るまで、紫草の名は様々な形で取り上げられています。中でも、山田耕作作詞で知られる旧東京市歌は、『むらさきにおいし武蔵の野辺に日本の文化の花咲き乱れ・・・』という表現で始まっており、紫草に対する扱いは、最近まで我が国の普遍的認識であったいうことが伺えます。
むらさきはとても小さい花で、マクロで撮ったつもりでも、手振れとピント外れで下手な私の手にはなかなか負えないので、上の小さい画像を大きくしても手頂いた後で、下の入場券に印刷された写真を見て頂くと、5弁の白い小さい花が分かっていただけると思う。
・初夏から夏にかけて、白い5弁の小花が咲く。(花色は紫ではありません)花の真ん中に、「へこみ」がある♪
・根は太く紫色で「紫根(しこん)」と呼ばれ、名前の由来となった。これは紫色の染料や薬用に使われる。秋に、白い卵状の丸っこい実ができる。