「裁判所の桜」と呼んで、この辺りは幼い頃の遊び場でした。
その頃にはSLの機関車はなくて、北側の線路を走る和歌山線の
汽車が煙を吐いて走っていました。
汽車がジーゼルに変わった時、最後にこの線路を走った機関車が
「金剛ハロー号」として、この公園に設置されたとの説明が、車体の傍に
記されています。
ここが遊び場だったころから、春には見事な櫻が子供たちを見守って
くれていました。
生家は、走って帰ると5分もかからない所だったのに花が咲くと、お弁当を持って近所の友達と花の下で、おむすびを食べるひと時を楽しみにしていたものでした。
周りの様子はすっかり変わりましたが、春を彩る花のある風景は、昔のままです。
だから、思い出のいっぱい詰まったこの場所が、今でも大好きです。
すっかり老木になってしまった桜は、今年も頑張って咲いています。