世田谷文学館で開催されてゐる、「六世 中村歌右衛門展」を覗く。
若くして世を去った五代目中村福助の庶子に生まれ、執念と強運をその繊細さうな容姿と知性に包んで戦後の歌舞伎界に君臨した、中村歌右衛門の六代目。
若くして世を去った五代目中村福助の庶子に生まれ、執念と強運をその繊細さうな容姿と知性に包んで戦後の歌舞伎界に君臨した、中村歌右衛門の六代目。
四十代で人間國寶になるなど、若くしてあらゆる名誉名聲を総舐めにしたこの女形役者の、晩年にその集大成として捧げられた称号が、『女帝』。
それでも、六代目中村歌右衛門が舞台で女性を描く極高の歌舞伎役者であったことは、紛れもない事實だ。
私も本興行で最後の出演となった「大老」の“お静の方”を観てゐるが、井伊直弼が訪ねて来たと知らせを受けて、パッと喜びの表情(かお)になるところなど、まさに「花が咲いた」やうだった。
もっともこの頃には、當人の舞台への執着心とは裏腹に、番付に名前は載るものの「体調不良」による休演が續き、いまのうちに舞台姿を一目なりとも、と焦る見物客たちからは、
「だうせ出られないなら、初めから出るとか言ふな!」
と、かなり恨まれてゐたものだ。
この企画展では、最高の當たり役とされた「京鹿子娘道成寺」に始まり、歌右衛門襲名、自主公演に気炎を上げた時代、そして数多の當たり役を写真パネルに衣裳や書き抜き、小道具などを羅列して華麗に演出する。
が、そのわりに薄っぺらな印象を受けるのは、生涯にわたって「深窓の令嬢」を振る舞ひ續けた、その上っ面を撫でたのみにすぎないからだ。
さういふ意味で、「加賀見山旧錦繪」の“局岩藤”に扮した上方の名優三代目實川延若の姿に、私はつひ見入ってしまふ。
そして、あらゆる名誉名聲を極めたこの女形役者に、一つだけ欠けてゐた──つまり手に入らなかった──榮誉を、私は展示物のなかから見出す。
その榮誉とは、
『人格者』