迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

得るために得るべきことを得る。

2018-11-12 17:14:13 | 浮世見聞記
神奈川県立歴史博物館の特別展「鎌倉ゆかりの芸能と儀礼」を見る。


鎌倉に「面掛行列」といふ古ひ藝能が伝わってゐることは知ってゐるが、未だ見に行く機会を得ていない。

さりながら、自らも面を掛けて藝を演じる者として、猿楽以前の古面を用ゐるこの藝能につひて“なにか”を得たい──さういふ思ひで、博物館へ出かける。


この行道藝能に用ひゐられる、いはゆる「行道面」は、布地を漆で固めて作った原形に、表には胡粉で色を付け、裏には紙を重ねた上に漆を塗って仕上げる。

それら猿、烏天狗、阿亀(おかめ)、福禄などの面相はあまりに異形で、見る者に強烈な印象を与へる。

それこそが、これらの面を掛けた行列の、一つの狙ひだったのではないだらうか。

面といふ道具は、それを掛けることで、日常とは異なる自分を現出させる。

そしてそれは、見る者をも、日常とは異なる空間へ誘ふ。

つまり、そこから神仏への“畏れ”を呼び覚ます役割を、果たしてゐたのではないか?──


今回展示された古文書類から、これらの意味を理解することは、はっきり言って困難である。

それは、日本人が本来持っていたはずのかうしたものを理解する文化を、150年前にあまりにも多く棄て過ぎてしまったからではないだらうか。

異人や異國が持ち込んだ文化や思想につひて、ただ目新しいにすぎないものを「これこそが世界の主流」と勘違ひし、無闇矢鱈と取り入れ置き換へて行ったツケが、現代の我々に回ってきてゐるのではないか?──



かくして私は、本当の“なにか”を得るためには、やはり現地へ実際に見に出かけること以外にはないことを、得る。





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